ブダペストでの災難
<非日常のいかがわしさ>
中欧を訪れる半年ほど前、ぼくは東南アジアを2ヶ月ほど1人旅していた。それがはじめての海外旅行だったこともあり、毎日が刺激の連続だった。街を歩けばトゥクトゥク(バイクタクシーみたいなもの)の運転手やホテルの客引きに嫌と言うほど声をかけられるし、気を抜けばぼったくられるので値段交渉も一筋縄ではいかない。それに、しばしば危険な目にも遭った。アジアのうっとうしいほどの熱気はきつかったけど、だからこそ、1人旅特有の寂しさを紛らわしてもくれたのだった。
初冬の中欧はそれと比べると、孤独だった。客引きからはほとんど声をかけられないし、インフラが整っているので、余計な会話をしなくても移動も買い物もできる。天気も曇り空ばかりですぐ暗くなり、人々はみな寒さでうつむきながら歩いている。沢木耕太郎の『深夜特急』に、ヨーロッパの冬は特別な意味で寒いという趣旨の一文が書かれていたが、まさにそうだと痛感した。肌寒い中欧には、東南アジアにはあった「非日常のいかがわしさ」とも呼べる熱気が、どこにもなかったのだ。
だが、ある都市だけは、そのいかがわしさが漂っていた。ハンガリーの首都ブダペストだ。そして、それはつまり、ぼくがこの街で痛い目に合わされたことをも意味するのだった。
<駅の闇両替屋>
スロバキアの首都ブラチスラヴァから列車で3時間ほどで、ブダペスト東駅に着いた。ホームに降りると、妙な緊張感に襲われた。それまでの国の駅と比べて少し汚く、どこか怪しげな雰囲気に包まれている。この街はやばいかもしれない。本能的にそう感じたが、まぁ大丈夫だろう、という楽観的な考えが背中を押してくれた。
ひとまず、手持ちのユーロをハンガリーの通貨であるフォリントに両替することにした。駅の両替屋のレートが悪いのは万国共通なので、少額に留めるつもりだった。店の前のレート表を見ると、1ユーロ232フォリントとある。まぁそんなものなのかと、5ユーロほど両替しようとしたら、突然、店の前で見知らぬおっさんに英語で話しかけられた。
「やぁ、おれとチェンジしないかい?」
闇両替屋だ。東南アジアではよくからまれたが、中欧に入ってからはこれがはじめてだった。おっさんはニタニタと笑いながら、しくこくぼくに話しかけてくる。
「この店のレートは最悪だ。おれとチェンジしようぜ。お得だからさ」
面倒臭い相手だったが、内心ぼくはうれしくもあった。こういう胡散臭い人に話しかけられるのはひさしぶりで、旅をしているんだという実感がわき上がってきたのだ。せっかくなので、ぼくはこのおっさんと両替することにした。
「ユーロを両替したい」
「そうか、じゃあ250でどうだ。この店は230だから、だいぶいいだろう?」
「いや、280だ」
少しふっかけ過ぎたかなと思いつつ、そこから値段交渉がはじまった。10分ほどああだこうだと話し合い、270でないと両替しない、という状況までたどり着いた。
「分かった、分かった。で、お前はいったいなんユーロチェンジしたいんだ?」
おっさんがうんざりした様子でそう言った。ぼくも疲れてなんだかどうでもよくなってきたので、いっそハンガリーで使う分のユーロをここで全部両替しようと思った。それが、運の尽きだった。
「70」
そう告げると、おっさんの目の色が変わった。OK,OKと言いながら、急いで電卓でフォリントの金額を叩き出し、その分を自分の財布から取り出した。あまりの豹変ぶりになにか裏があるのではないかと不安になったが、おっさんはぼくにつけ入るすきを与えず、金を渡すとそそくさとどこかへ消えてしまった。嫌な予感がした。
その予感は的中した。駅から出て、ブダペストの街をぶらぶらと歩いていると、両替所があった。なんとはなしにのぞいてみると、なんと、その店のレート表には1ユーロ298フォリントと表示されていたのだ。
そのとき、ぼくは自分のスマホにレートが確認できるアプリを入れていたことを思い出した。それを使って計算してみると、確かに、1ユーロはだいたい300フォリントくらいの値だった。やられた。まんまとぼったくられたのだ。
駅の両替所と闇両替屋はグルだったのか? 本当のところは分からない。でも、こんなトラブルが起こることは予想できたはずだ。中欧に入ってから危険な目に合わず、警戒心が薄れていたのだろう。本来なら、おっさんに話しかけられたときにスマホのアプリをつきつけて「この額じゃないと両替しない」と言ってやらなければならなかったのだ……。
胸糞悪い事件だったが、取り返しはつかない。ここが海外であることを再認識するための授業料として、あきらめるしかなかった。
だが、授業料はこれだけではすまされなかった。
<24時間乗り放題チケット>
どこに行っても、ぼくの移動方法はたいてい徒歩だった。街並みをじっくり見るためでもあるが、交通費がもったいないというのが1番の理由だった。
ブダペストにいる間も、最初のうちは徒歩で移動していた。でも、泊まっていたホテルが市街地からだいぶ離れていたこともあり、滞在最終日の前日からは24時間チケットを利用することにした。これを使えば、期限内なら地下鉄やバスが乗り放題になるので、かなりお得だと言えるだろう。交通機関を自由に利用できたおかげで、その日はブダペストを隅から隅まで見て回れた。最終日も、バスターミナルに向かう時刻をちょうど24時間後に合わせたので、最後の最後までチケットを有効活用することができた。……はずだったのだが。
<ハンガリーの交通機関>
トラブルについて語る前に、ここで中欧の交通機関について書いておこう。
中欧だけでなく西欧でもそうかもしれないが、たとえば地下鉄には、日本にあるような自動改札機はない。代わりに小さな機械が置いてあり、そこにチケットを刺し込む。すると、日付と時間が刻印されるので、それをホームや車内にいる検査官に見せるという仕組みになっている。また、チケットは基本的にバスや路上電車と共通で、何分以内なら乗り放題というものがほとんどなので、乗り継ぎがかなりスムーズに行われるのも特徴だ。
ただ、この仕組みには穴もある。チケットを点検するはずの検査官が、たまにしか現れないのだ。ぼくの場合は、市内交通の車内で1度も検査官に遭遇しなかった。もちろん、抜き打ちチェックのときに正規のチケットを持っていなかったら罰金を払わされるのだが、キセル行為をやろうと思えばかなりの確率で成功するだろう。実際に、現地の人がチケットを買うところはほとんど見なかったので(みんな定期券かなにかを持っているのかもしれないが)、そのへんは日本と比べてけっこう大らかなのかもしれない。
だが、ブダペストは他の中欧の街と比べたら、厳重だった。駅の改札口には検査官が待機していて、彼らにチケットを提示する必要があるのだ。と言っても、検査官のおじさんのほとんどは、ちらっと見ただけですぐに通してくれる。人通りが少ないときはだいたい同僚とだべっているし、逆に人が多いときはチェックしないまま通されることもあった。
そうやって、24時間チケットで何度も乗り降りしていると、いちいち見せるのが面倒くさくなってくる。それに、バスや路上電車で1度も検査官のチェックがなかったので、チケットを買ったのが馬鹿らしく思えてしまった。いっそ、次はキセル行為をしてやろうか。そんなことを考えてしまうくらい気が緩み出したころに、トラブルは必ず降りかかって来るのだった。
<検査官のおばちゃんとのバトル>
事件はブダペスト最終日に起こった。
ウィーン行きの長距離バスに乗るため、バスターミナルのある駅まで地下鉄で向かっていたら、間違えてひとつ手前の駅で降りてしまった。いつもならこれくらいのミスは笑ってすませられるけれど、このときは違った。先にも書いたが、ぼくは24時間チケットを期限ギリギリまで利用するつもりだったので、この時点で買ってから23時間50分ほど経っていたのだ。次の電車に乗って駅に着くころには、期限を越えてしまうかもしれない。その場合は、罰金を払わされてしまう。
なのに、次の電車はなかなかやってこない。ぼくはかなり焦っていた。でも、よくよく思い返してみたら、これまで検査官は乗車のときにしかチケットをチェックしていなかった。だから、たとえ24時間をオーバーしていたとしても、それがばれるはずがないのだ!
そのことに気づいて、ぼくはほっと胸をなで下ろした。何分か後、ようやく列車も到着した。ぼくはもうチケットのことは忘れて、次に向かうウィーンのことだけを考えながら、ゆうゆうと列車に乗った。
だが、世の中はそんなに甘くなかった。本来なら乗車客をチェックする検査官が2人だけいるのだが、その駅の改札にはもう2人、おばちゃんの検査官がいた。どうやら彼女たちは、降車客のチケットをチェックしているようだった。
ぼくは戦々恐々としながら、地上への階段を上がった。おばちゃんたちが他の乗客の相手をしている間に通り過ぎようとしたが、やはりそうはいかなかった。
「エックスキューズミー」
おばちゃんはぼくを呼び止め、チケットを出すように言った。ぼくはしぶしぶ、彼女にそれを見せた。眼鏡をくいっと上げてのぞきこむと、おばちゃんは顔をしかめた。そして、ぼくに自分の腕時計を見せた。9時37分。期限の2分オーバーだった。
そこから、ぼくとおばちゃんの片言の英語を使ったバトルがはじまった。
「2分くらい大目に見てよ」
とぼくが言えば、
「ノー!」
とおばちゃんは頑なにはねつける。
「乗ったときの検査官からはOKもらったんだから、いいだろう!?」
「あんたの乗ったところからここへは列車を乗り換えるでしょう? 本来ならその分の料金を払わなきゃダメなのよ」
「おれが乗ったときは期限内だったよ」
「降りたときの時間含めての24時間」
「ぐぬぬ……ところで、おばちゃんきれいだね。だから許して」
「あらそう? うふふ。ノー!!!」
そんなこんなでしばらく揉めていたけど、埒が明かないし、バスの出発時間も迫っていた。仕方がなく、ぼくは罰金を払うことにした。いくらだとおばちゃんに尋ねると、なんと8000フォリントらしい。それは、ぼくの1日の生活費に値した。
当然、手持ちのフォリントで払えるわけがなかった。あるだけ全部出して足りないと分かると、おばちゃんはATMに行けと命令口調で言ってきた。その言い方が癪だったが、ここはじっと抑えて、不足分はユーロで払った。
徴収がすむと、おばちゃんは請求書のようなものを書きはじめ、写しをぼくに渡した。そして、「バーイ」とまるでぼくを追い払うように手を振った。この段階でかなり怒り心頭だったが、さらにむかついたのが、そこに違反時刻が「9時50分」と書かれていたことだ。
いや、ぼくが電車を降りたのは9時37分という期限ギリギリで、駅を降り間違えたことによる不運な結果なわけで、15分オーバーという確信犯的とも思われないような時間になったのは、おばちゃんがねちねち言ってきたせいじゃないか、これはあれか、融通が利かない旧社会主義の国の官僚体質なのか!……と、つまらないことで憤ってしまうほど、このときのぼくはかなりまいっていた。いまになって振り返ったら、9:1ぐらいでぼくが悪かった。というか、完全にぼくの不注意なのだった。
24時間乗り放題チケット
おばちゃんに渡された請求書。よい子は余裕を持って行動しましょう。
<旅先の好き嫌い>
旅先で訪れた国や街にまた訪れたいと思うかは、そこで出会った人次第だ。どんなにきれいな景色やおいしい食べ物と巡り合えたとしても、嫌な人やトラブルと遭遇してしまうと、すべて台無しになってしまう。
もちろん、それだけでその国や街を否定するのは、あまりにも極端だ。それが自分の責任であるのなら、なおさら身勝手だろう。でも、1度味わってしまった嫌な思いは、そう簡単に忘れられるものではない。そんなこともあったと笑ってすませられるようになっても、また行きたいと思えるのは、よっぽどその場所に惹きつけられたか、ドMな人ぐらいだろう。
ハンガリーのブダペストはたしかに魅力的な街だった。でも、しばらくはいいかな、とぼく自身は思っている。