豆鳥の巣立ち

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ウィーンで本場のオペラを4ユーロで観てきた(後編)

<前回のあらすじ>

 ウィーンの本場のオペラを4ユーロの立ち見席で観るため、上演の3時間前から並びに行った筆者。少し変わった日本人のおじさんに助けられながら、なんとか最前列の特等席をゲットしたのだった…。

 

<ついに客席へ>

 そして、ついに客席に入った。扉をくぐると、そこには予想以上にきらびやかな光景が広がっていた。舞台は思っていたよりも小さかったが(奥の奥の席なのでそう感じただけかもしれない)、天井から吊り下げられた巨大なシャンデリア、そして金色に光輝くボックス席は、それだけで見るものを陶酔させる。まさに豪華絢爛だった。

ぼくが買った平土間の奥の奥「Parterre」は、8人くらい入れる列が左右に10列ほど設けられていた。係員に誘導されて、左の階段から上がった人は左の列に、右の階段から上がった人は右の列にと、それぞれ左右に分かれて並ばされる。ぼくとおじさんは、みごと右側の最前列に陣取ることができた。

ところで、さっきまで後ろにいた白人の少年が、なぜか左側の最前列の席についていた。実際のところは不明だが、係員が気を利かせて1番見やすい場所を取ってくれたのかもしれない。

 また、下記の写真を見ていただけると分かるが、立ち見の最前列と座席の最後列はほとんど離れていない。調べてみると、劇場で1番値の張る席はこの最後列のあたりだそうだ。つまり、実質たった4ユーロで、最高の位置からオペラを観ることができるのだ。これほどお得で豪華な立ち見はほかにはないだろう。

 席は確保したが、まだやるべきことがあった。係員がなにか説明をしてくれているが、よく分らないのでおじさんに尋ねてみた。すると、おじさんは待っていましたとばかりに、さっきのマフラーを取り出した。

「これをね、目印として手すりにかけるのがルールなんだよ。そうしないと、他の人に取られるかもしれないからね。せっかくだから、きみの分も一緒につけておこう」

 おじさんは自分とぼくの席の前の手すりにマフラーを巻きつけた。周りを見渡すと、他の人々もスカーフやらなにやらで目印をつけていた。それは、いままで見てきた中で、最もオシャレな場所取りだった。

「これでひと段落。上演まで自由に時間を潰しなさい。それじゃあ、また後で!」

 そう言って、おじさんは劇場の奥へと消えて行った。ぼくも上着をクロークに預けるため、客席を離れることにした。そのついでに、少し劇場内を探索してみよう。

 

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 平土間の立ち見席。手すりにマフラーなどをかけて場所取りをする。 

 

<上演前の探索>

 上着は1階にあるクロークに預けた。ここは座席客と立ち見客の両方が利用できるが、だからと言って応対に差があるわけではなかった。ぼくの上着を預かったのはこの劇場に何十年も仕えているであろう老係員だったが、変に愛嬌を振りまくでもなく、淡々と自分の仕事をこなしていた。

チケットを提示すれば、劇場の隅から隅まで見て回ることができた。舞台の間近やボックス席にも行けたし、常設のバーでワインだって飲めた(立ち見のチケットよりも高いが)。よほどのことがない限り、写真も自由に撮れた。ただ、さすがに周りには正装した人が大半なので、はしゃぎ過ぎると白い目で見られてしまう。その辺はわきまえておいた方がいいだろう。

 注意すべきなのは、劇場の造りが思った以上に複雑であることだ。開演時間が近づいてきたので立ち見席に戻ろうとしたが、どこにあったか分からなくなって、しばらく迷ってしまった。係員に聞けば大丈夫だろうが、席から離れる際はちゃんとどの道筋を通ってきたかを覚えておくべきだろう。

 

<そして開演>

 迷いはしたが、開演10分前には自分の席に戻ることができた。おじさんはまだ戻っていなかったが、客席は続々と埋まり、演奏者たちも簡単に音合わせをしていた。

ここまでまったく書いていなかったけれど、この日の演目はヴェルディの『仮面舞踏会』だった。内容をかなり簡潔に言うと、主人公はアメリカのボストンで総督をしているリカルド。彼には秘書のレナートがいたが、実はリカルドは密かにレナートの妻であるアメリアと不倫をしていた。上司と妻の関係を知ったレナートは、リカルドをよく思わない反逆者と一緒に、彼を暗殺しようとするのだった…。

という、よくあると言えばよくある三角関係のもつれだ(詳しくはwikipediaかなにかで参照していただきたい)。オペラは事前にストーリーを頭に入れておかないと置いてけぼりになると聞いていたので、上演までのわずかな時間を使って、一応内容をおさらいしておいた。

ちなみに、各席には字幕が流れる機械が設けられており、それを見ながらストーリーを追うことができる。ただ、使われている言語はドイツ語と英語だけだし、舞台と字幕を交互に見るのはかなり大変なので、使っている人はほとんどいなかった。オペラにとって、字幕なんて野暮なことなのかもしれない。

 5分前になって、ようやくおじさんが帰ってきた。

「もうすぐだねぇ、楽しみだね。この作品を観るの、実ははじめてだから、緊張するねぇ」

子供のように胸を躍らせるおじさんは、若干面倒臭いものの、それくらい純粋に音楽が好きなのだと思うと、微笑ましくもあった。大人しくしていられず、隣にいたコロンビア人の夫婦とおしゃべりをし出した彼を眺めていると、いったいどのような人生を送ってきたのか興味がわいてきた。旅をしていて1番楽しいのは、きれいな景色や美味しい食べ物とかではなく、彼のようなおもしろい人と出会えることに尽きるのだ。

でも、それを探る間もなく、会場の照明が徐々に落とされていった。いまのいままでざわめいていた客席が、とたんに静かになる。おじさんも口を閉ざし、きらきらとした眼差しを舞台に注ぐ。何千もの耳は、『仮面舞踏会』の音色だけを待ちかまえている。

 

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 国立歌劇場のボックス席

 

<胎児のような心地>

 上演に先だって、注意を呼びかけるアナウンスが流された。ドイツ語、英語に続いて聞こえてきたのは、なんと日本語だった。おじさんが教えてくれたところによると、現在の国立歌劇場のメインスポンサーはトヨタ自動車であるので(そう言えば、劇場のいたるところに「LEXUS」のロゴマークがあった)、それが関係しているのかもしれない。

 アナウンスが終わると、オーケストラの前奏曲がはじまった。ついに開演だ。幕が上がると、舞台では大勢の演者が合唱をしていて、そこに主人公リカルド役の俳優がさっそうと登場する。さすがは主演を張るだけあって、彼の声量や重厚感は群を抜いていた。それに、ヒロイン・アメリア役の女優の声も素晴らしかった。人間の声はこれほどまで遠く透き通るのかと感嘆するほどで、2人の男性の板挟みになる女性の苦悩を、みごとに表現していた。

ここから愛憎渦巻くどろどろの物語が展開されるわけだが…詳しくは書かないでおく。さっき字幕が野暮なことのように思えると書いたが、話の筋を書き連ねたところで、オペラの醍醐味は表現しきれない。オペラはあくまで「音楽」なのだから。

ストーリーよりもなにより、会場の隅から隅まで反響する俳優の声や楽器の音色が圧巻だった。1階の奥の席でさえ、耳を通り越し心臓を震わすような感覚を覚えるのだから、舞台近くや天井桟敷の席はそれ以上の「揺れ」を感じたことだろう。まったく音楽の教養がないぼくでも、この空間に満ちた音の豊饒さに酔いしれることができた。母親のお腹の中にいる胎児はこんな心地なのかもしれないと思いながら、ぼくは舞台だけでなく、四方八方に飛び交う音を、むさぼるように堪能した。

 

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 閉幕後の舞台挨拶(上演終了直後なので写真OKだった…はず) 

 

<閉幕後の音のたわみ>

 休憩をはさんで3時間の長い舞台は、あっという間にクライマックスを迎えていた。

タイトルと同じ華やかな仮面舞踏会の場で起こる悲劇的なラスト。最後の絶唱がとどろき、幕が下りる。その瞬間、客席全体から祝砲のような拍手が鳴り響いた。拍手は途絶えることなく、出演者が挨拶のために姿を現すたびに大きくなり、「ブラボー」というかけ声もいたるところから聞こえてくる。そういった閉幕の後の音も含めて、ぼくの耳は普段絶対口にできない豪華な料理を食べたように満足していて、そして、少しもたれていた。

「それじゃあ、またどこかで。気をつけて旅を続けてね」

 おじさんはぼくにそう話しかけると、すぐに劇場を後にした。こういうあっさりとした別れは、変な気を使わなくて楽な一方、やはり少しさみしくもある。彼のノートにぼくの名前や住所は記載されていないが、ぼくの方は彼を忘れることはないだろう。それくらい、彼は変な人(いい意味で)だった。

ふと気になって、反対側の列にいる少年に目を向けた。彼はまだその場にいたが、ほかの観客のように拍手をしたりせず、ただじっと舞台を見つめていた。彼の胸中に渦巻くものがなんなのかは分からない。でもいつか、立ち見ではなく、すぐ目の前の1番高価な席でぼくがオペラを観る機会があったなら、そのときは成長した彼が演奏か出演していてほしいと、なんとなく思った。

 預けたクロークを受け取り、ぼくも劇場を後にした。午後10時を回り、辺りはすっかり暗く、寒くなっていた。人の声や車や行き交う街の音が聞こえるが、なんだかどれも耳の中でたわんでいるように感じた。

地下鉄に乗ってもそのたわみは続いたが、アパートホテルに戻ってシャワーを浴び、いつものようにテレビでCNNのニュースを見ながら、冷凍のグラタンをチンして食べていると、それはしだいに治まっていった。

 オペラは、あまりにも華麗かつ荘厳で、あまりにも非日常だった。たわみは、その非日常な音に耳が少しマヒしたことによるのだろう。

だが、よく考えたら、旅そのものが非日常であるはずだった。それがしだいに治まっていったのは、ぼくの中でこの旅がマンネリ化していることを意味しているのかもしれない。どこに行っても新鮮味のない、日本と同じようなありふれた生活を、いつのまにか送っているのではないか、と。

日付をまたぐころ、ぼくは眠りに着いた。いつもはテレビをつけっぱなしにしたままにしておくが、今夜だけは消しておいた。

目を閉じ、静寂の中に身を任せる。すると、さっきのオペラがまた聴こえ出した。心地よい揺れの中に身体を浸す。眠りに落ちるまでのほんのひととき、ぼくはまた、胎児に戻ることができた。