豆鳥の巣立ち

旅と小説とその他もろもろ

バンコク ソンクラーン前夜祭

*この記事で書かれているのは、去年(2013年)のソンクラーンです*

<川沿いの宿>

 フェリーから降りると、雨が降りはじめた。スコールほど激しいものではなく、春雨のように細かな雨足だった。

 僕はレインコートを羽織り、目星をつけていた宿に向かった。バックパックごと覆ったので、はたから見たらミノムシのようだ。そもそもこれくらいの雨で雨具を使うタイ人は皆無だったので、なんにせよ奇妙な姿に映ったのだろうが。

 目指す宿は、ホワイトマンションで出会った日本人のおじさんに教えられたものだ。そこはカオサン通りから少し外れてはいるが、その分静かで快適に過ごせるし、比較的値段も安いらしい。おじさん本人はいけすかなかったけど、貴重な情報はありがたく活用させてもらうことにした。処世術とは、こういうことなのだ。

 チャオプラヤー川沿いの路地裏を歩いた先に、その「ベラベラ・リバーハウス」はあった。てっきりこじんまりとしたゲストハウスなのかと思いきや、50室はあろうかというホテル型の宿だった。気になったのはもちろん、料金だった。もし予算よりも高ければ別の宿を見つけようと決め、とりあえずフロントに確認した。すると、予想に反してシングルが一泊250バーツだという。部屋を見せてもらうと、クーラーはないが大型の扇風機があるのでそこまで暑さは気にならず、なにより清潔だった。Wi-Fiが繋がらないという欠点があったけれど、それさえ我慢すれば、当たりと言ってもいい宿だった。僕はここに、3泊することに決めた。

 

ソンクラーンの水かけ祭り>

 僕がカオサン通りに行きたかったのは、バックパッカーの聖地であることも一因だが、そこではソンクラーンもひときわ大きな盛り上がりを見せるだろうという期待があったからだ。

 ソンクラーンとはタイの旧正月を指す。そしてそれに際して行われる「水かけ祭り」は、タイ国民やこの国を訪れる観光客が待ちに待った一大イベントだ。お清めの水を身体にかける習わしが発祥なのだろうが、この時期の酷暑が影響してか、現在は町行く人に見境なしに水を浴びせまくる、めちゃくちゃなお祭りと化している。

 これは是非とも参加したいし、世界中からろくでもない人が集まるカオサン通りでなら、想像もつかないような出来事が起こるかもしれない。実際にはソンクラーンは明日からだったが、前夜祭が開かれるという情報はすでに仕入れていた。僕は急いでシャワーを浴び、一応ケータイや財布を防水パッキングに入れて、カオサン通りに向かった。雨はすでに上がっており、からっと乾いた夕日が辺りを赤く染めていた。

 

カオサン通りへ>

 旅先で出会った日本人の多くが、現在のカオサン通りに不満を持っていた。それはここがすっかり観光地化して、警察の目も厳しくなり、かつての危険で魅力的な雰囲気が薄まってしまったからだという。

 確かに僕もはじめてカオサン通りを目にして、なんだか日本の原宿のようだという感想を抱いた。通りには若者が好みそうなファストフード店やダイニングバー、それに路面店が軒を連ね、外国人の観光客であふれている。一言で表現するならまさに「おしゃれ」だった。とは言えよく目を凝らして見ると、様々な看板の中には「TATOO」と書かれた派手なものもあるし、一歩横道に入れば、強面のお兄さんが何やら怪しげなものを売っていた。自慢したくなるほど危険な目にあってきた玄人にとっては、チャチなものに成り果てたのだろうけど、少なくとも僕にとっては、カオサン通りは惹きつけられるほどのいかがわしさを、いまだに醸し出していた。

 ソンクラーン前夜のそんなカオサン通りは、すでに独特の熱気に包まれていた。子供用の水鉄砲を手にした外国人観光客と、ホースをかまえたタイ人による水のかけ合いがはじまっており、地面には雨とは別の要因で水たまりができていた。

 僕はなるべく騒動に巻き込まれないよう道の端を歩いていたが、当然見逃されるはずがなかった。ふいにタイ人のちびっ子が僕の前に現れ、水鉄砲を放った。僕はなすすべもなく顔面でそれを受け止め、ちびっ子は「うきゃきゃきゃ」と可愛らしい声を上げて、走り去っていった。言わずもながだが、僕とちびっ子は顔見知りでもなんでもない。これがソンクラーンなのだ。

 

カオサン通りのセレモニー>

 その夜盛り上がりを見せていたのは、実際にはカオサン通りの周辺だった。通り自体ではセレモニーが行われており、水をかける余裕もないほど、人でごった返していたのだ。せっかくなので、僕はそれを見物することにした。

 午後6時過ぎ。タイのテレビタレントであろう美男美女が進行役となり、セレモニーは幕を開けた。

 最初に行われたのは、栄典の授与式だった。通りの中央に設けられた舞台には台座があり、見るからに位の高そうな年配の女性がそこに腰かけていた。各界の功績者らしき人々はひとりひとり彼女の前に歩み寄り、一礼をした後、なにやら勲章のようなものを受け取っていった。彼らに勲章を手渡す女性の動作はとてもしなやかで、訓練では決して身につかない、生得的なもののように僕には思えた。

 だけど僕ら外国人観光客には、彼女の正体がよく分からなかった。「クイーン?」とひとりの白人女性がつぶやくのが聞こえたが、国王妃にしては年齢が若いし、それにしては警備もずさんだった。仮に人混みの中に暴漢がいたとしても、なんの苦もなく女性に襲いかかることができただろう。おそらく王族ではあるが、そこまで中心的なポジションの人ではないのかもしれない。ひとまず、僕は彼女を国王のまた従姉妹ということにして、疑問に終止符を打つことにした。

 授与式が終わると、タイでは有名らしいフォーク歌手の演奏がはじまった。そのまま聞き続けるのもよかったが、熱気で頭がぼうっとしてきたで、少し人混みから離れることにした。舞台から遠ざかり、マクドナルド(噂通り、ドナルドが合唱していた)に避難した。すると店内には、華やかな衣装を着た若いタイ人の女性たちがいた。これからセレモニーで演技をするのだろうが、このときの彼女たちはすっかりだらけきっており、スマホをいじりながらおしゃべりに興じていた。その姿は日本の女子高生とそっくりで、なんとも微笑ましかった。

 そんな若い女性たちの中で、ふてくされているのか、他とかなり温度差のあるグループがあった。よく見ると、彼女たちが着ているのはなぜか白い着ぐるみだった。どういうことかは、すぐに分かった。

 フォーク歌手の演奏が終わり、女性たちの番になった。華やかな衣装を着た子らは孔雀の羽のような扇子を持ち、さっきまでとはまるで違う上品そうな笑みを浮かべた。一方、着ぐるみを着た子らは縦列に並んで、長く伸びた衣を上から被った。そして最前列の子の頭には、猛々しい龍のマスクがはめられ、誰ひとりその顔を垣間見ることができなくなった。温度差はここに起因していたのだ。

 民族音楽をBGMに、華やかな衣装の女性たちは、まるで妖精のように踊りながら舞台に上がった。それに続いて数人がかりで再現された龍も登場し、見物人らを食わんとするかのように縦横無尽に駆け回った。多くの人は龍ではなく、美しい踊り子たちに釘づけになっていた。けれど僕は舞台裏をのぞいてしまったせいで、龍を演じる子らにばかり目がいった。おそらくこの日の演技のために猛練習と、選抜試験が行われたのだろう。顔を隠された子らはその戦いに敗れ、来年こそは自分も、と悔しがりながら龍を演じているのかもしれない。実際のところは分からないけれど、ソンクラーンの陰でくり広げられるそんな人間ドラマを想像し、僕はなんだか少し感傷的になってしまった。

 

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 セレモニーの一幕。

 

<馬鹿騒ぎの渦中で>

 セレモニーをその女性たちの演技で切り上げ、僕は水かけ祭りの方に参加した。通りの真ん中を歩く観光客に向かって、両サイドからタイ人が水鉄砲やホースで攻撃する。中にはすれ違いざまに顔に粘土を(おまじないかなにかだろう)つけていくやつもいる。服や身体を汚さずに観光することはほぼ不可能で、僕もあっという間に全身びしょ濡れになり、さらにはメガネに粘土をつけられる羽目になった。

 僕は例えばクラブとかで踊るようなタイプではないのだけれど、この夜ばかりは違った。通り全体に漂う熱気と、スピーカーから大音量で流されるハウスミュージックに、自然と気分も高揚していった。DJの煽りに応え身体を揺すり、見ず知らずの外国人と水をかけ合った。自分の中で、なにかが解き放たれたような快感を覚えていた。

 水かけ祭りはもともとは神聖な行事であったのだろうけど、僕が体験した限り、現在は完全な馬鹿騒ぎだった。それに語弊を覚悟で言うなら、なかなか性的なニュアンスがあるようにも思えた。例えば、男性が女性に水鉄砲をかける様は実に分かりやすい性行為へのメタファーだ(お立ち台でビールを売るタイ人の姉ちゃんの胸やお尻に向かって、太った白人のおっさんが水鉄砲で攻撃する姿は、いささか露骨だが)。それに通りすがりに粘土をつける行為も、正当な理由で異性に触れられるのだと思えば、よく練られた作戦だと言えなくもない。ただそれが原因で、男女間のトラブルになっている場面を何度か目にはしたのが。

 そもそも水をかけまくるだけなので、開催する費用もそれほどかからない。けれど日本でこのようなイベントを開いたとしても、成功はしないはずだ。水かけ祭りが成功している最大の要因は、やはり外国人観光客の解放感にある。暑さとどことなく不可思議な印象を持ったタイで行われるからこそ、人々は羽目を外して盛り上がり、水浸しになれるのだ。出しゃばらず、空気を読む習慣が染みついた日本でやったとしても、一部の若者は盛り上がるかもしれないけれど、その他大勢からは白い目で見られるだけだろう(サッカーW杯のときのように)。老若男女、そして外国人も含めみんなが盛り上がれるような祭りは、やはり海外に出ないと味わえないものなのかもしれない。そんなことをふと考えてしまうほど、この夜の水かけ祭りは最高に盛り上がっていた。

 だからこそ、僕はその反動でまた心細くなった。こんなに楽しいお祭りなのに、どうして僕はひとりでいるのだろう、と。もし根っからの楽天的な人ならば、つべこべ言わずに馬鹿騒ぎの中心に飛び込んでいけるのだろう。けれど僕にできるのは、通りすがりの人と水をかけ合うことだけだった。そしてその相手とは、すぐに通り過ぎてしまう。残されたのは、ビショビショになった僕だけだった。

 感傷的な気分がどんどん膨れ上がっていく。このままではマズいと気づき、今夜はもう引き上げることにした。まだまだ勢いを衰えない祭りの中を、そそくさとホテルの方に向かって歩いていく。横から何度も水をかけられるが、反撃する気分ではなかったのでスルーした。

 すると、ふいに僕の目の前にバズーカ型の水鉄砲を背負った大学生くらいの女性が現れ、僕に向かって放水した。声をかけられる前に、顔で分かった。彼女は日本人だった。

「もしかして日本人ですか!?」

 そうだと答えると、彼女は子供みたいにバンザイをしてはしゃいだ。僕が呆然と顔を拭っていると、彼女の元に2人の男性が駆け寄った。彼らもまた日本人だった。「すみません、突然」女が僕に言った。「私たち競争してたんです。誰が一番早く日本人を見つけて銃撃できるか、って。ね、この人日本人だから、私の勝ち。パッタイおごれよ!」

 悔しそうに顔をしかめる男性陣に、女性は鼻高々といった笑みを向けた。彼女たちの仲の良い姿を見ていると、さっきまでの感傷的な気分が薄らいでいった。僕もこの中に混ぜてくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いたのだ。

「これから帰られるんですか?」女性が僕に言った。

「そのつもりでした」と僕は答えた。

「ええー、せっかくの夜なのにもったいないですよ」

 彼女は心の底から残念そうに言った。

「でも、ソンクラーンはこれからですからね。体力は温存しとかなきゃ。気をつけて帰ってくださいね。さっきは突然襲ってしまって、どうもすみませんでした」

 彼女はぺこりとお辞儀をした。ほぼ90度に曲げられた彼女のお辞儀は本当にきれいで、僕はその感想を伝えようとした。けれどその前に彼女と2人の男友達は僕に手を振って、喧騒の中に消えていった。僕は彼女たちが見えなくなるまで手を振った。濡れた身体に吹きつける夜風は、とても肌寒かった。

 それから僕は宿の部屋に戻って、あったかいシャワーを浴びた。喉が渇いたので、祭りで余った500mlのペットボトルの水を飲んだ。飲み干すと、そのまま電気も消さず眠りに落ちた。鼓膜のあたりでは、馬鹿騒ぎの中で耳にしたハウスミュージックが、まだかすかに聞こえていた。

 

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水かけ祭りの一幕。