豆鳥の巣立ち

旅と小説とその他もろもろ

バンコク 初海外でバックパッカーになる

【タイへの逃走】

 2013年4月9日、僕は会社ではなく、羽田発バンコク行きの飛行機の中にいた。学生時代の友達の多くはこの春から新社会人としてバリバリ働いていたけど、ぼくは就職という道を取らなかった。でも、何もしないでいるのも後ろめたいので、とりあえずぼくは旅に出た。いわゆるバックパッカーというものになってみたのだ。

 とはいえ、世界一周のような大それたものではなく、ほんの2ケ月ほど東南アジアを回ってみる計画だった。特に行きたい場所があるわけでもなく、別に行き先はアメリカでもヨーロッパでもよかった。でも、お金がなかった。そこで最も安上がりな場所を色々と探した結果が、東南アジアだったのだ。

 就職ではなく旅を選んだぼくは、社会の落後者なのかもしれない。おそらくはそうだろう。でも、旅を終えたいまは、給与や社会経験とは別の価値あるものを得た気がするのも確かで、それを言葉にすることで、いまも抱える後ろめたい気持ちを発散したくもなった。そこで、ぼくはこのブログを使って、その2ケ月間の旅について語ろうと思った。人見知りで、英語もろくにしゃべれず、しかも海外初体験の男の話がおもしろいとは自分でも思えないけど、ある程度の体験はしてきたつもりだ。

 

【はじめて外国人になる】

バンコクスワンナプーム国際空港に着いたのは、朝の5時20分だった。ANAの173便の機内から降りると、タイ人の空港職員が両手を合わせて出迎えてくれた。ワイという伝統的なあいさつだ。ぼくは職員に軽く頭を下げ、寝ぼけ眼で長い通路を歩き、外国人用のイミグレーションの列に並んだ。周りには日本人の他に、別の飛行機に乗っていた白人やアラブ人、見た目は日本人にそっくりな韓国人がいて、それぞれ自分たちの国の言語で何かを話し合っていた。そのとき初めて、僕はここが海外で、自分が「外国人」なんだと実感した。

 初体験の入国審査に緊張したが、女性の検査官は僕のパスポートと出入国カードをチェックしただけで、質問も何もせずあっさりと通してくれた。こんなものかと拍子抜けしたけど、パスポートに押されたタイの入国スタンプを見ると、異国の地に足を踏み入れた興奮がどっと沸き上がってくる。機内に預けた荷物を受け取り、両替カウンターで2千円だけバーツに変える。およそ650バーツ。いまはこれがこの国でどれほどの価値を持つのかはよく分からないが、徐々に身をもって知ることになるのだろう。

 さて、どうするか。『地球の歩き方』によれば、空港からはタクシーかバスで行くのが便利だと書かれている。けれど、タクシーはぼったくられると聞くし、バスは乗り方がよく分らなかった。そこで、ぼくはエアポートレイルリンク高架鉄道で行くことにした。45バーツとバスに比べて割高だけど、間違いなく目的地に連れて行ってくれる鉄道の方が安心だと思ったのだ。

 空港の地下と直結している駅に向かい、自動券売機で切符を買う。この路線では切符はコインの形をしていてる。このコインを改札機にパスモのようにタッチして、出るときに投入口に入れる仕組みなのだ。車内は冷房が利いていて日本の地下鉄とあまり変わらない。タイ語の後に英語のアナウンスがあるので、目的の駅で降りることもたやすい。と言っても、ぼくが向かったのは終着駅のパヤータイだったのだが。

 パヤータイ駅に着き改札を出ると、猛烈な熱気が待ち構えていた。まだ7時にもなっていないのに、立っているだけで汗が湧き出てくる。これが現地の空気なのだ。昨日までのむしろ肌寒かった日本の空気とはまるで違う。皮膚を越えて骨にまで伝わってくるその熱に、眠気も忘れて思わず笑みがこぼれた。とうとう新しい日々が始まったのだ。

 

【とにかく暑いバンコクの街】

 だが、その熱を帯びたバンコクの街は、軽い気持ちで旅に出たぼくに手痛い洗礼を浴びせた。ぼくはパヤータイから、世界中のバックパッカーが集まるというカオサン通りまで歩くつもりだった。地図によれば2キロほどの距離なので、バスやバイクタクシーを使うまでもないと考えたのだ。だが、それはあまりにも愚かで安直な考えだった。英語しか話せない白人の若者が東京の街に迷い込んだ姿を想像してほしい。ぼくの場合は英語もろくにしゃべれないのだから、どうなったかは明らかだ。

 2時間は歩いただろうか。まだカオサン通りに着けない。地図の通りに歩いているはずなのに、気づいたらまったく逆方向に歩いていて、道を引き返したら、今度は行き過ぎてしまう。単にぼくが方向音痴なだけでもあるが、照りつける直射日光に思考回路が鈍っているようだった。汗が止めどなく流れる。バックパックが肩にどしりとのしかかる。途中で何度も冷房の利いたセブンイレブンに入って(タイにいる間、何度この日本資本のオアシスに助けられたことか)飲料水を購入した。

 でも、再び歩きはじめたら、またすぐに汗が湧き出て飲んだ分の水分を奪われる。そんなに過酷ならタクシーに乗ればいいではないかと思われるかもしれないが、ぼくは何が何でも乗り物には乗りたくなかった。初めての美容室に行くときのような恐怖を抱いていたのもあるが、そうやって汗水をたらしながらバンコクの街をさ迷うことに、ある種の快感を覚えてもいたのだ。

 バンコクの街並みは、日本でぼくが抱いていた東南アジアのイメージとかけ離れていた。中心部には高層ビルが建ち、大型のデパートが軒を連ねている。先に書いたように、街のいたる所にはセブンイレブンがあり、交通インフラも整備されている。日本と遜色のない、大都市だ。

だが、当然ここは異国である。車道には車やバイク、それにトゥクトゥクオート三輪車)がひっきりなしに走っていて、信号もあまりないので横断歩道を渡るのも一苦労だ。なにより、バイクタクシーがおもしろい。慢性的な交通渋滞の網目を通り抜けるように走るバイクは、市民の足として重宝されている。駅前にはオレンジのベストを着た運転手が何人も待機して、会社員やOLを後ろに乗せすいすいと駆け抜けて行く。中には親に金を握らされて学校へ向かう小学生もいる。だが、車道はあまりにも混雑しているので、たまに人気が少ないと見るや平気で歩道を走り、ぼくは何度が轢かれそうになった。

 また、道路わきやデパートの周りには、これぞ東南アジアと思わせるような屋台がいくつもある。麺や米などの主食を扱う店もあれば、肉や練り物の串焼き、フルーツ、ジュースを売っている店もあり、隣接されたテーブルではどんな時間でも誰かが食事をとっている。経費削減のためか、屋台で買ったジュースはペットボトルではなくビニール袋に入れ、それをストローで啜って飲む。もちろん、食べ物だけでなく、衣服や仏教関連の雑貨、それに何に使うのかよく分らないガラクタを扱った屋台もある。どこに行ってもそのような珍しい光景に遭遇するので、ぼくは疲れも忘れて歩き続けることができた。

 とはいえ、さすがに正午も過ぎると腹が減るし、疲労もたまってくる。なのに、ぼくはまだカオサン通りに着けず、サヤームという日本の新宿に当たる場所をうろついていた。体力も限界に達してきたので、ぼくはひとまずサヤームパラゴンと言うショッピングモールの中に入り、計画を練り直すことにした。

 だが、しばらく命を吹き込んでくれるかのような冷房に当たっていると、だんだんとカオサン通りに行く気が失せてしまった。一息つくと、どっと疲労と睡魔がよみがえってきて、これ以上動きたくなくなったのだ。だからバイクタクシーにでも乗れよと自分でも思うが、これだけ歩いたからこそ意地でも乗り物には乗りたくない、余計な金は使いたくない、と変な見栄が出てしまったのだ。

 調べると、この近くにも安めのゲストハウスがあるらしい。そこで、ぼくは急きょ予定を変更して、モール内にあるATMで国際キャッシュカードから2000バーツを引き出し、『地球の歩き方』を手がかりにそこへ行くことにした。

 しかし、案の定また迷ってしまった。地図ではほんの200メートル圏内にあるのに、まったく見当たらないのだ。バンコクはまさに魔性の街だ、と自分の方向音痴を棚に上げて、結局30分ほど歩いた。そして、ようやく見つけた。この旅最初の宿泊地「ホワイト・マンション」だ。

 

 

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 バンコクのバス停での一枚