豆鳥の巣立ち

旅と小説とその他もろもろ

日本の地方都市ブルノ

モラヴィアの代表都市ブルノ>

 チェコは大きく3つの地方に分けられる。首都プラハがある西部のボヘミア、ポーランドと国境を接する北東部のシレジア、そして東部のモラヴィアである。この3つの地域に住む人々は厳密に言えば異なる民族であり、古来より周辺の大国に翻弄されてきたこの国の複雑な歴史を物語っている。

ブルノはその中のモラビア地方を代表する都市であり、チェコ全土でもプラハの次に規模が大きい。ロードレース世界選手権のチェコグランプリが開催されることで有名で、その時期には観光客であふれ返り、ホテルの宿泊料も高騰するとのことだ。でも、ぼくが訪れた11月はオフシーズンで、どちらかと言うと街に人はまばらだった。今回は、そんなあまりいい時期ではないブルノでの記憶を綴ることにする。

 

<どこか懐かしい地方都市>

 クトナーホラというプラハの近くにある田舎町から、列車で約2時間半かけてブルノに来た。チェコ第2の都市だけあって、駅前には巨大なショッピングモールがあり、街中には海外資本のブランドショップやファーストフードが軒を連ねている。プラハと遜色がないほどの発展具合に目を見張ったが、同時に、はじめてこの街に来たのになぜか既視感を覚えた。

 予約した街はずれのホテルへ歩いて向かうと、その既視感はますます強まった。郊外に出ると、建設中の工事現場や大型のスーパー、整然と並ぶ団地などが目に入る。ホテルの近くにも学校や住宅地があって、登下校中の子供たちや犬を連れて散歩をするおばあちゃんなど、ブルノの人々が飾らない生活を過ごしている。それらはどれも、どこかで見覚えのあるものばかりだった。

そうだ、ここは日本の地方都市に似ているのだ。中心地だけが飛びぬけて華やかで、一歩街の外に出れば急にさびた雰囲気が漂っている。ぼくが日本で住む街も同じような構造だった。だから、日本から何千キロも離れた異国であるはずなのに、日本のどこかの街を歩いているような気がして、ぼくは懐かしささえ覚えたのだった。

 

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  ブルノの街並み。どことなく日本の地方都市とダブる。

 

<社会主義時代のホテル>

 ぼくが泊まったホテルはかなり年季が入っていた。まだ夕方だからか明かりがついておらず、ロビーは暗く青白かった。ベルを鳴らすと、従業員らしき女性が奥から現れた。きれいな白人女性だったが、控えめで影のある印象を受けた。

手続きを済まし、ぼくは6階にある自分の部屋までエレベーターで行くことにした。このエレベーターもまたぼろかった。扉は手動式で、3人も乗ればぎゅうぎゅうになるほど中はせまい。ボタンを押すと、がたんと大きな音を立ててゆっくりとエレベーターは上昇していき、いつ止まってもおかしくないほどがたがたと揺れている。密室ではないので、外からのすき間風が中に吹き込んできてかなり冷える。なんとか無事に目的の階まで着くと、ぼくは思わずほっと胸をなで下ろした。

フロアーも明かりがついてなくて、うす暗く静かだった。まるで映画「シャイン」の舞台のようで、これからなにかしらの事件や怪奇現象が起きそうな雰囲気だ。けれど、うす気味悪いのはたしかだが、辺りに漂うほこりっぽい空気はなかなか味があった。

室内もテレビや冷蔵庫などはなかったが、清潔でベッドも大きかった。それになにより、ビュッフェ形式の朝食もついているのだ。シーズンオフのためでもあるのだろうが、これで1泊20ユーロはかなりお得だと言えた。

ここもむかしは一流と呼べるホテルだったのかもしれない。だが、いまは老朽化が進み、ぼくみたいな貧乏旅行者でも泊まれるくらい安い値段で部屋を提供している。チェコは25年も前に社会主義から民主主義という大きな転換を迎えたし、いまのブルノの街も再開発が進んでいる。でも、このホテルはそんな時代の流れから取り残さてしまったかのように、ひっそりと街外れにたたずんでいた。

 


 ブルノのホテルのエレベーター - YouTube

 

<スーパーで買い物>

ぼくは今回の旅行の食事は、たいていスーパーで買ったパンと飲み物で済ませていた。キッチンがある宿にも泊まったけど、面倒なのと料理下手を自覚しているので自炊はしなかった。宿の朝食バイキングで腹を満たし、小腹がすいたらパンでしのいでなんとか1日もたす、そんなかなりわびしい食生活だったが、その分浮かしたお金でたまに食べるご当地料理は、空腹が調味料となって、贅沢な旅行をするときよりも格別に美味いのだった。

ブルノでも、ホテルのすぐ近くにビラ(BILLA)があった。このビラとアルバート(ALBERT)、そしてテスコ(TESCO)の3つのスーパーに、旅行の間何度助けられたか分からない。あまりにもしょっちゅう通うものだから、いっそポイントカードを作ろうかと考えたほどだ。

スーパーに来る利点は、なにも安く済ませられるだけではない。ここに来ると、現地の人々の食習慣が垣間見られるので、商品棚を見るだけでも十分楽しむことができるのだ。

まず日本人が驚くのが、商品の量の多さだ。たとえば缶ビールは500ミリリットルからしかなく(超大型店にはあるけど、街中の店ではほぼない)、飲み切るのはけっこう大変だ。その逆に、カップ麺やインスタント食品は日本のものと比べると量が少なく、味もそれほど美味しくはなかった。

生鮮食品に目を向けると、魚介類はあまり種類がないが、その代わり肉や乳製品が豊富にそろっている。1つの棚が全部チーズで埋まっていることもしょっちゅうだ。

それと、なぜかジュースや牛乳が、冷蔵ケースではなく普通の棚に並べられている。痛むのではないかとこっちが心配になるが、そのあたりは習慣の違いなのだろう。

また、中欧のスーパーは商品だけでなく、レジの仕組みも日本とは異なっている。日本ではかごからかごへ店員が商品を移して精算するが、中欧では客が自動で動くレーンに商品を乗せて、流れてきた商品を店員が精算する仕組みになっている。商品を乗せたら前後の人のものと区別するため仕切りを置き、かごは精算の前にレジの横に重ねて片づけておく。向こうの人は1度にたくさん買うので、その方が効率がいいのかもしれない。なお、レジ袋は有料なので、客はみんな自前のカバンを用意している(もしくはカートでそのまま車まで持って行く)。エコの面でも、日本と比べて進んでいると言えるだろう。

 

<旅の息切れ>

そうやって、観光を終えた夕方くらいにスーパーで買い物し、ホテルの部屋で日本から持ってきた本を読みながらパンをかじっていると、やっぱり日本での生活と代わり映えがしなかった。せっかく異国に来たのになにをしているのだと自分でも思ったが、それが楽なのもたしかなのだ。日本と似た街で、日本と同じような生活を送る。異国に来てこのときまだ1週間ほどしか経っていなかったが、ぼくは早くも疲れているのかもしれない。

旅をしている人の間で、「外こもり」という言葉がある。これは簡単に言うと、日本よりも物価が安い国に長期滞在して、外出もせず宿の部屋でうだうだと過ごすことだ。タイのバンコクは物価が安くてコンビニもあるので、そんな外こもりをする日本人が多いのだけど、このときのぼくもそれに片足を踏み込んでいた。

 幸いなことに、今回は旅程も決っていてチェコの物価も言うほど安くはなかったので、すぐにその状況から抜け出すことができた。でも、これが期限を決めていない、もっと物価の安い国に滞在していたら、どうなっていただろう? ぼくはなにも外こもりを否定するつもりはないが(海外に出て学んだのは、旅も生き方も人それぞれだということだ)、まだそこに落ち着くには早いような気がした。

ここで終わってはいけない、いまはただ息切れしているだけなのだ。そう自分に発破をかけてみるけど、ベッドに埋めた体はなかなか起き上がろうとはしなかった。

(ブルノの市内観光については次回)