豆鳥の巣立ち

旅と小説とその他もろもろ

絵本の世界への入り方 チェスキー・クルムロフ

<おとぎの世界を探して>

 チェコがどんな国かと想像すると、多くの人は絵本のようにメルヘンチックなイメージを喚起するだろう。けれど、時代はグローバル化の進んだ21世紀なわけで、そのような現実離れしたおとぎの世界はあるはずがない。首都のプラハだって、中世ヨーロッパの雰囲気が漂ってはいるものの、市街地はファーストフード店やブランドショップが軒を連ねる現代的な街並みだった。

 しかし、チェスキー・クルムロフは違った。一歩踏み入れた瞬間、観光客はまさに絵本の中に迷い込んだかのような錯覚を覚えるのだ。チェコの南の外れにある、世界で一番美しいとも評されるこの小さな町を、今回は紹介したいと思う。

 

プラハからチェスキー・クルムロフへの行き方>

 チェスキー・クルムロフは少し不便な場所にある。国境のすぐそばにあるので、プラハよりもオーストリアリンツから行った方がアクセスはいいかもしれない。

プラハから列車で行く場合は、1度チェスキー・ブディェヨヴィツェで乗り換え、総計3~4時間ほどかかる。バスだと3時間ほどで本数も多いが、人気のある観光地なので数日前にチケットの予約を済ましておくのが無難だ。

 列車とバスの時刻はこのサイトから調べることができる。「Odkiaľ」というところに「Praha」、「Kam」に「Český Krumlov」と打ち、(「Č」とかの特殊な文字はそのまま「C」と打てば大丈夫)、「Dátum a čas」に日時を入力すれば候補が出てくる。料金は若干変動があるが、列車だとだいたい260コロナから、バスだと200コロナくらいになる。

 

<列車で向かう>

 ぼくは列車を使ってチェスキー・クルムロフに向かった。プラハからチェスキー・ブディェヨヴィツェまではコンパートメント車両だったが、乗り換え後はローカル線になるため、通路を挟んで両側に四人がけの席が並ぶ日本の列車と同じタイプの車両だった。

 オフシーズンだからか、それとも観光客の多くはバスで行くからなのか、車内はまばらだった。数少ない乗客も、ほとんどが現地の人々のようだ。ナンプレをやっている途中で寝てしまったおじいちゃんや、おそらくなにかのスポーツの練習に行くのだろうジャージ姿の女の子など、それぞれの日常生活の一場面がうかがえた。彼らとは住む土地や人種が異なっているけど、本質的な部分はぼくら日本人と大差はないのかもしれない。

 車窓の外は、ボヘミアの山並みや草原など「アルプスの少女ハイジ」に出てきそうな自然が広がっている。途中の駅も簡素なもので、列車というよりはバスの停留所のようだ。プラハの大都市とはまるっきり異なる風景に、なんだか心が休まっていく。

 チェスキー・ブディェヨヴィツェからのんびりと1時間ほどで、ようやくチェスキー・クルムロフに着いた。ここが終点ではないため、居眠りをして乗り過ごさないよう注意が必要だ。駅のホームが小さいので線路にそのまま降り立つと、冷たい空気と田舎町特有の草のにおいが出迎えてくれる。そして、多くの人は、はじめて来るはずなのにどことなく懐かしい心地になるだろう。

 

<駅から城へ>

 チェスキー・クルムロフ自体は小さな町だが、駅から市街地までは1.5キロと少し距離がある。いったん荷物を置こうと、まずは予約した宿に向かった。

 宿は駅近くの通りに面したレストランに併設されたペンションだった。シャワーと暖房がちゃんと付いたシングルで、1泊18ユーロ(約2300円)と値段もまあまあ安かったが、部屋に入るなりハエが中を飛び回っていた。出鼻をくじかれはしたが、それもまたこの町ののどかさを演出しているかのようだった。

 宿に着いた時点で午後3時を回っていた。この時期のチェコは夕方の時間にはもう真っ暗になってしまうので、一息つく間もなく市街地へ向かうことにした。レセプションの女性に行き方を教えてもらい、市街地へ続く下り坂を早足で歩いた。木々の生い茂る長く急な階段を下りて視界が開けると、大きな建物が見えた。それが、この町1番の目玉、クルムロフ城だった。

 

<クルムロフ城からの町並み>

 クルムロフ城は13世紀に当時この地を治めていたローゼンベルク家によって創建された。その後、幾度か領主が変わるたびに増設され、現在はプラハ城に次ぐチェコで2番目に大きな城となっている。ゴシックにバロックルネッサンスと様々な様式の建物の数々は、さながらチェスキー・クルムロフの歴史を物語っているかのようだ。

 

f:id:chickenorbeans:20131119153806j:plain

 クルムロフ城の塔

 

 城自体もさることながら、そこから眺める町並みは絶景だ。屋根を赤と黒に統一された建物が、まるでミニチュアのように密集している。ミニチュア、と変なたとえで評したのは、その景色が現実離れしているからだ。ここが日本と同じ地平線上にある気がせず、どこか別の次元の、まさに絵本という想像上の世界を目にしているような気にさせられた。

 ぼくはだいたい3分もしたら景色に飽きてしまうタチなのだが、このときばかりは何十分も眺め続けていた。おそらく、それはチェスキー・クルムロフの町並みが、東洋人の抱くヨーロッパへの羨望を体現しているからだろう。現に、ここに来るまで何人もの東洋系の観光客を目にした。中国人の団体客や、韓国人と思われるカップルもいたし、ぼくのような一人旅の日本人もいた。せっかくこんなおとぎの世界まで来たのにお前たちがいると雰囲気が壊れるじゃないか、と身も蓋もないことを思ってしまったが、彼らにとってはぼくもその対象なのだろう。それくらい、この町の景色はぼくら東洋人を弾きつける魔力を醸し出していた。

 

f:id:chickenorbeans:20131119154344j:plain

 クルムロフ城からの町並み①

 

f:id:chickenorbeans:20131119160423j:plain

 クルムロフ城からの町並み②

 

f:id:chickenorbeans:20131119160429j:plain

 クルムロフ城からの町並み③

 

<旧市街地へ>

 城の後は旧市街地の中に足を踏み入れた。ここも現実だとは到底思えない光景だった。絵本どころか、ドラクエのような古典的なRPGの世界に迷い込んだかのような気分にさせられる。自分の想像力ではそれくらいの表現でしかたとえられないが、誰もが似たような感想を抱くだろう。知ってはいるけれど、絶対に自分の日常にはない空間。だからこそ、観光客はこの町をディズニーランドと同じような楽しみ方で見て回ることができる。

 石畳の道を歩けば、ルネッサンス期に建てられたかわいらしい建物が出迎えてくれる。町自体はヴルタヴァ川の岸辺にこぢんまりと納まっているが、道が迷路のように入り組んでいるので実際以上に大きく感じられる。また、どの小道にも味のあるお土産物屋やレストランが店を出しており、ショッピングや食事を楽しむのもいいだろう。

 

f:id:chickenorbeans:20131119161930j:plain

 旧市街地の町並み①

 

f:id:chickenorbeans:20131119161858j:plain

 旧市街地の町並み②

 

f:id:chickenorbeans:20131119161531j:plain

 お土産物屋①

 

f:id:chickenorbeans:20131119162003j:plain

  お土産物屋②

 

 これからもっとこの町を探索してみようとした矢先、辺りが急に暗くなりはじめた。時計はまだ午後5時だったが、冬のヨーロッパの1日は無慈悲なほど短いのだ。だが、この町の魅力は夜に盛りを迎える。外灯や店の明かりが煌々ときらめき、神秘的な様相を呈する。クルムロフ城もライトアップされ、息を呑むほどの美しさだ。恋人や伴侶と一緒に訪れたのなら、二人の最高の思い出となること間違いないだろう(もちろん、一人で来ても満足できるが)。

 

 

f:id:chickenorbeans:20131119165601j:plain

 ライトアップされたクルムロフ城の橋

 

<夢から覚めたときの注意点>

 チェスキー・クルムロフでは夢のひとときを過ごすことができるが、それだけを述べるのは無責任でもあるので、現実的な面での不便さも書いておく。

まず、食事に関してだが、レストランで食べる分には問題はないものの、ぼくのように安く済ませようと思う人は、スーパーや食料品店を探すのに苦労するだろう。景観を守るためだろうが、それらの店は旧市街地の外にしかない。しかも、夜は町から一歩外れると明かりがほとんどなく、道に迷いそうになってしまう。駅の近くにスーパーが一軒だけあったので、事前にそこで飲み物と軽食を買っておくことをおすすめする。

 また、旧市街地から駅の方に戻る場合は、上り坂に苦労させられるだろう。体力に自信がある人でも、あまり町歩きに張りきり過ぎない方が身のためだ。駅と旧市街地の間は市バスが通っているので、観光を楽しんだ後はそれを利用してみてもいい。また、長距離バスは旧市街地の近くで発着するので、やはり列車ではなくそちらを使って訪れる方が便利かもしれない。

 

<絵本の世界は絵本のままに>

日が落ちて辺りがすっかり暗くなってからは、ほとんど観光もせず宿に戻った。スーパーで買ったパンとビールを、チェコ語で吹き替えられた「ザ・シンプソンズ」を見ながらもそもそと食べる。腹がいっぱいになると、日本宛ての手紙を書いて、シャワーを浴びて、ぼっとしているうちに眠りに落ちた。

そして翌朝、ぼくは一泊だけしてすぐにプラハに戻ってしまった。この町を見て回ったのは、実質的に3時間にも満たないだろう。

せっかく来たのにもったいないと思われるだろうが、ぼくはこれ以上チェスキー・クルムロフの町に滞在するのが恐ろしかった。それは、「慣れ」への恐怖だった。この町はあまりにも非日常で特殊であったからこそ、何日も滞在して見慣れてしまったら、その価値に対して不感症になってしまう気がしたのだ。

ぼくにとってチェスキー・クルムロフは、ずっと非日常の場所であってほしかった。絵本の世界は、絵本のままであるからこそ、そこを訪れるものを現実にはない魔力で魅了してくれるのだ。