豆鳥の巣立ち

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クトナーホラの珍スポット

チェコの珍スポット>

 どこの国のどんな地域に行っても必ずあるのが「珍スポット」だ。たとえばタイのバンコクにあるシーウィ―博物館では、連続強姦魔のミイラや人間の脳みその解剖模型などが展示されているし、ベトナムホーチミンには、スイティエン公園というツッコミどころ満載な遊園地がある。すべての観光客が行って楽しめるわけではないが、モノ好きな人にとってはどんなきれいな景色や美味しい食べ物にも勝る旅の思い出となる、それが珍スポットなのだ。

もちろんチェコにも珍スポットがある。しかも、この国の放つメルヘンチックなイメージを覆すかのように、少しおどろおどろしい内容だった。今回はその珍スポットについて紹介しよう。

*若干、刺激の強い写真があるので、苦手な人は読まない方がいいかもしれない。

 

<田舎町クトナーホラ>

 その珍スポットがあるのは、クトナーホラという田舎町だ。首都プラハから列車でわずか1時間でクトナーホラ本駅に着く。駅舎から出てみると、人気や車の往来はほとんどなく、静かで澄んだ空気が出迎えてくれる。本当に珍スポットがあるのかと疑ってしまうほど、のどかな景色だった。

目当ての珍スポットへは、駅から向かって右手にある道を進む。市街地や珍スポットへはこの道を進む以外に方法がないので、道なりに真っ直ぐ歩けば迷うことはない。

5分ほど歩くと、交差点に差しかかる。ところで、珍スポットの前に観光客は左手にある巨大な建物に目が行くだろう。これは1300年前後に建てたられたとされる聖母マリア大聖堂で、その時代から残っているものとしてはチェコ最大の教会である。

この大聖堂や珍スポットがある場所はセドレツ地区と呼ばれ、世界遺産にも登録されている。もともとクトナーホラは銀の採掘が行われており、中世にはプラハに継ぐボヘミア王国の第2の都市として栄えていた。しかし、15世紀ごろから銀が枯渇し、ペストや三十年戦争の影響もあって、衰退することになった。一見のどかなこの町にも、そういった波乱万丈な歴史が内包されているのだ。

 

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聖母マリア大聖堂

 

 前書きが長くなってしまったが、大聖堂のある交差点を右に曲がり坂道を3分ほど歩けば、ようやく珍スポットのお出ましだ。先ほどの大聖堂と比べると、その建物はこぢんまりとしている。小さな門をくぐって敷地内に入ると、多くの来場者が思わずぎょっとするだろう。建物の周りには、無数の墓が並んでいるのだ。

 

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 墓地の中に建てられた全聖人教会。

 

<骨、骨、骨>

 セドレツ墓地の中にある全聖人教会。その地下に設けられた納骨堂が、今回紹介する珍スポットだ。階段を下りて暗い堂内に入ると、うっすらと十字架の装飾品が見えてくる。近づいてよく観察しようとした瞬間、度肝を抜かされた。

 十字架を形作っているのは、ぜんぶ頭骸骨なのだ。天井から吊るされたシャンデリアも、素材はガラスではなく人骨だった。それに装飾品だけではない。柵で仕切られた向こう側には、人骨が山積みされていた。ガイドブックによると、骨の数は4万人分にも上るらしく、あまりにも非現実的な光景だったので、まるでポップコーンのようだと思った。

 

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めっちゃボケてて申し訳ないけど、全部骨です。

 

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シャンデリア。恐怖で震えていたということにしておいてください。

 

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骨、骨、骨。

 

なぜ、こんなに骨だらけなのか? 一説によると、13世紀にセドレツ修道院のハインリヒという人が、エルサレムから持ち帰ったゴルゴダの丘の土をこの墓地に撒いたことがそもそものはじまりらしい。それ以来、カトリック教徒の間でこの墓地は聖地として見なされるようになり、数多くの埋葬希望者が現れた。さらに14世紀には先にも述べたペストの大流行で3万人もの感染者が、15世紀にはキリスト教の教派対立が招いたフス戦争の犠牲者数千人が埋葬されることになり、墓地の規模はどんどん大きくなっていった。

全聖人教会が建てられたのもそのころである。墓地にはすでにかなりの数の埋葬が行われていたので、教会の工事中に次々と亡骸が発掘された。それらの亡骸の保存場所と、墓地の縮小の意味も兼ねて、教会の地下に納骨堂が設けられたのである。

 また、悪趣味と紙一重の骨の装飾品についてだが、こちらは19世紀に教会を買い取ったシュヴァルツェンベルク家が、木彫師のフランティシェク・リントという人に作らせたものである。制作の背景には「メメント・モリ」の教えがあるそうで、それを踏まえた上で改めて見ると、来場者はおどろおどろしさの中に生のはかなさを感じる取ることだろう。なお、これらの装飾品には1万人分の骨が用いられているとのことだ。

 

<よみがえるキリングフィールドでの記憶>

 納骨堂の人骨を前にして、ぼくはカンボジアのキリングフィールドで目にした何千という頭蓋骨を思い出した。

キリングフィールドは1970年代のポルポド政権時に虐殺が行われた場所で、現在は一般公開されていて、国内外から多くの来訪者が足を運んでいる。敷地内に建立された慰霊塔には無数の犠牲者たちの骨が祀られており、そのときの衝撃的な光景がよみがえってきたのだ。

 納骨堂とキリングフィールド。この2つの場所で目にした人骨の山は、歴史的な背景は異なるけれど、どちらもぼくを厳かな気持ちにさせた。目の前にある骨の主は、かつてぼくと同じように不可逆的な生を謳歌していた。けれど、彼らはみんな死んでしまった。天寿を全うした人もいるだろうが、多くはペストのような伝染病や、虐殺というむごい方法でその命を奪われてしまったのだ。どのような運命が待っているのかは分からないが、やがてはぼくも彼らと同じ骨になる。そう考えると、あてのない旅の1秒1秒が貴重なものに思え、この場所を珍スポットと呼ぶのは少々不謹慎な気もした。

 

<珍スポットから学ぶ歴史>

ぼくが納骨堂に行こうと思ったきっかけは、単なる怖いもの見たさだった。けれど、実際にその場所を訪れたことで、どうしてこんな変わったものが作られたのかを調べるようになり、色々と歴史的な側面も学ぶことができた。博物館や偉人の銅像なんかを見てもなかなか理解しづらいが(海外だと言語の障害もあるし)、こういった変わり種によっても、その国をより深く知ることができるのだ。そういった意味で、珍スポットもまた立派な文化遺産であると言えるだろう。

 それに、クトナーホラの目玉はなにも骨だけではない。市街地の町並みは歴史があるし、のどかな田舎町の空気を堪能したりするのもいい。この町はプラハから列車で1時間ほどしか離れていないので、ほとんどの観光客は日帰りで訪れる。けれど、せっかくなので一泊して、プラハとはまた違った風情をのんびりと堪能してみてはどうだろうか。