豆鳥の巣立ち

旅と小説とその他もろもろ

バンコク トゥクトゥクの魔の手とフェリー

トゥクトゥクの魔の手〉

翌朝、ぼくは予定通りホワイトマンションを後にした。昨夜の一件で寝不足だったが、3日目ともなれば身体もだいぶ慣れてきた。今日こそは、バックパッカーの聖地とも言われているカオサン通りに行ってやろう。

だが、ホワイトマンションからカオサン通りまではけっこう距離があった。そこで、ぼくはチャオプラヤー川のフェリーに乗ることにした。これは初心者のうちはバスは利用しない方がいい、というKさんとおじさん共通のアドバイスによるものだ。現に地図に書かれたバスの路線図は蜘蛛の糸のようでちんぷんかんぷんだし、バス停の表札もたいてい番号がかすれていてどれが来るのかよくわからない。それよりは1本の川を行き来するフェリーの方が安心で分かりやすいだろう。ひとまず、ぼくは1番近いフェリー乗り場を目指すことにした。

そして、案の定道に迷った。予定ではすでにカオサン通りの最寄り港についているはずだったが、いまだにフェリーにすら乗れず、自分がどこにいるのかも分からない。初日とまるっきり同じように、ぼくは汗をだらだらとかきながら異国の地をさまよい歩くことになった。

そうしているうちに街並みが一変した。急に赤や黄色を基調とした派手な建物が姿をあらわしたのだ。どうやらチャイナタウンに紛れ込んだらしい。街ゆく人も多くが東洋系の顔立ちをしていて、異国の中のさらに異国に迷い込んだかのようだ。地図によるとこの近くに乗り場はあるらしいけれど、いくら歩いても川らしきものは見えてこなかった。

 

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チャイナタウンにあった小さな寺。

 

救いの手が差し出されたのはそのときだった。同じ道を何度も行ったり来たりしているぼくを見かねてか、ふいにタイ人のおじさんが声をかけてくれたのだ。しかもありがたいことに、彼は英語が堪能だった。

「おい、日本人か。どこに行きたいんだ?」

カオサン通りです。すみませんが、フェリー乗り場はどこですか?」

「うん、フェリーで行くのか?」おじさんは顔をしかめた。「やめとけ、あんなもの。ちょっと地図を見せてみろ」

 おじさんはぼくの手からガイドブックを奪うと、地図の上になにやら書き込みをはじめた。他人のものを勝手にとは思ったものの、文句を言える筋合いはなかった。

「フェリー乗り場はこの道をこう行けばいい。でも、実はな、この川を通るフェリーは観光客相手にはぼったくるんだ。ウソじゃないぜ。これは現地の人間の中じゃ有名な話さ」

 それを聞いて、ぼくは昨日Kさんとの食事中に出たある話を思い出した。これはKさんの友人の体験談で舞台もカンボジアだったが、彼が船で観光していると、突然船員が金を出せとナイフを向けてきたらしい。助けを呼ぼうにも周りには誰もおらず、狭い船の上で逃げることもできない。仕方がなく、彼は100ドル近い金額を払って難を逃れたという……。

 じわじわと身の毛がよだってきた。このままフェリーに乗ったら、ぼくもそんな危険な目にあってしまうのだろうか。

「そ、それは本当?」

「本当さ。安く見積もって3000バーツはとられるな。だから、フェリーじゃなくてトゥクトゥクの方がいいぜ」

 おじさんの言う通りトゥクトゥクで行ってもよかったが、こちらはフェリー以上に評判が悪いことで有名だ。悪徳ではないとしても値段交渉に失敗したらだいぶ大目に払わされることになってしまうだろう。それなら熱中症になってでも歩いて行ってやろうかと思っていると、ぼくは次第にあるひっかかりを覚えるようになった。おじさんが過剰なほどトゥクトゥクを勧めてくるのだ。

「なぁトゥクトゥクに乗ろうぜ。安いからさ。この暑い中歩くのも大変だろう。トゥクトゥクだったら屋根もあるし快適だぜ。それにバンコクの色んなところを案内してやるからさ。ほら、あそこに1台停まっているし。おーい」

 おじさんが呼びかけると、客を乗せていないトゥクトゥクがあまりにも都合よく現れた。そして、ぼくはまたあることをはっと思い出した。

 手持ちのガイドブックには旅先で起きたトラブルについてのページがある。その中に、道に迷った観光客を言いくるめてトゥクトゥクに乗せ、目的地以外の場所に散々連れ回した後で大金を請求するトラブルのことが紹介されていた。いまのぼくを取り巻く状況は、まさにそこに書かれているのと同じではないか! 

 ぼくはフェリーのときとは別の恐怖心を覚えた。それはいままさに危険が目の前にあることへの、どこまでも冷たい戦慄だった。おじさんはなおも執拗にぼくをトゥクトゥクに誘っている。トゥクトゥクの運転手はニコニコと笑っている。

「道を教えてくれてありがとうございます。後は自力で行くので。では!」

ぼくは気丈を装いながらその場を去ろうとした。だがそのとき、おじさんたちの態度が豹変した。突然大声でなぜトゥクトゥクに乗らないのかと喚きはじめ、後をついてきた。これはまずいと、ぼくは慌てて近くのセブンイレブンの店内に逃げ込んだ。さすがに店の中には入ってこなかったが、おじさんは窓越しにぼくを見つめながらなにかを叫んでいる。しばらくの間、ぼくは棚の裏に身を隠した。店員からいぶかしげな視線を向けられたが、そんなもの知っちゃこっちゃない。

 数分後に再び顔をのぞかせると、おじさんはもういなくなっていた。ぼくも恐る恐る店を出る。辺りには彼らの姿はない。なんとか逃げ切れたようで、ぼくはほっと胸をなで下ろした。

 これを読んだ性善説を信じる人は、おじさんは悪者ではなくせっかくの親切心をぼくがむげにしたと思うかもしれない。けれどこの後、ぼくはおじさんがさっきのトゥクトゥクに乗って走り去っていくのを物陰から確かに目にしたのだ。やっぱり、彼らはグルだったのである。

旅先の親切ほど身に沁みるものはない。でも、都合よくもたらされる親切ほどいかがわしいものはない。そして、そのすべてを信じると、けっきょくは痛い目にあってしまうのだ。

 

<ごった返すフェリー>

 正午を回るころにはなんとかフェリー乗り場にたどり着くことができた。いつも通り髪の毛とシャツは汗でべったりと身体に貼りついていたが、それがかえって川の方から吹く風を心地よくさせてくれた。風に乗って、川のにおいも漂ってくる。

 待合場にはぼくのほかに母と息子の親子がいた。息子は小学校低学年くらいの少年で、何やらはしゃぎ回っては母にたしなめられていた。ふいに母がトイレかどこかに行ってしまうと、残された少年はヒマつぶしに辺りを散策し出し、当然ぼくのところにも近づいてきた。せっかくなので、ぼくはガイドブックにあるフェリーの航路図を彼に見せた。

「この停留所には行くの?」

 彼は緊張した様子で、こくりと小さくうなずいた。世間話でもしようかとしたところ、ちょうど母親が戻ってきたので、少年はすぐに彼女のもとへ走っていってしまった。そして、何事もなかったかのようにまたはしゃぎはじめた。

 しばらくしてオレンジ色の旗をかざしたフェリーがきた。フェリーには時間帯や料金によっていくつか種類があり、ぼくが目指すプラ・アーティットという停留所にはそのオレンジ旗船で行くのが1番早く安上がりだった。縄が係船柱にかけられてから、ようやく乗船する。船内は観光客や地元の人でごった返しており、足の踏み場もないほどだった。フェリーが再び動き出した。さっきよりも強く、気持ちのいい風が、人ごみの熱気を冷ましてくれた。

船に揺られながら景色を眺めていたら、荘厳な仏塔が現れた。ガイドブックで調べると、あれが三島由紀夫の『暁の寺』の舞台にもなったワット・アルンらしい。それを知ったとたん、ぼくは世間一般(どれだけいるのかは分からないが)の文学青年と同じように心が躍った。といっても、『暁の寺』を読んだのはもう何年も前で内容もほとんど覚えていなかったのだが。

 船内に目を向けると、変な筒を持ったおばさんが乗客をかき分けながら船内を練り歩いていた。周りの人々がおばさんにお金を渡しているところから、どうやら彼女は乗務員で、筒はチケットを発行するためのものらしい。ぼくのところにも来たので、恐る恐る20バーツ差し出した。すると、おばさんは顔色ひとつ変えずごく事務的にチケットと15バーツのお釣り(ちなみに筒の中にはお釣り用の小銭が入っており、おばさんが歩くたびにジャラジャラと音が鳴る)をぼくに渡した。これではっきりした。フェリーの料金は15バーツ、3000バーツの200分の1なのだ。

 

 次の停留所が近づくと、どこからか鐘の音が鳴り響き、乗務員のおばさんが停留所の名前を大声で叫びはじめた。停船すると人々が次々とフェリーを降りていくが、すぐにまた同じだけの数の乗客が押し寄せ、船内の熱気は引くことがなかった。

 この一連のダイナニズムはまさにバンコク市民の生活を端的に表していた。チャオプラヤー川に吹く風を堪能しながら、なにはともあれ、フェリーを選んだのは正解だとぼくは思った。

 

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 チャオプラヤー川沿いから眺めるワット・アルンと観光客。