豆鳥の巣立ち

旅と小説とその他もろもろ

バンコク ソンクラーンでの出会い

<正直、ソンクラーンは2日で飽きる>

 ソンクラーンの水かけ祭りはだいたい3日間続く。この時期外を出歩く際は、常にスマホや財布などの防水を心がけておいた方がいい。スナイパーはいつどこからあなたを狙っているか分からない。たとえば通りすがりのバイクタクシー。ふいに「Happy New Year!」と声をかけられたかと思うと、次の瞬間には顔を水鉄砲で攻撃して、そのまま走り去っていく。屋台でジュースを売っているおじさんも危ない。ジュースを冷やすための氷水をそのままかけてくるので、冷たいったらありゃしないのだ。でもタイの人は基本的にシャイなので、ほとんどの人は水をかけた後で申し訳なさそうに微笑んでくる。それを見たら別に怒るほどのものでもないと思うし、暑いのでむしろ気持ちがいい。なによりこれはお祭りなのだから、楽しまなければ損だと気づくだろう。

 けれどそんなお祭り気分を楽しめるのは、正直2日目までだ。友達や家族と来ていれば最後まで十分に満喫できるのだろうけれど、ひとりでいると「もういいかな……」とふと我に返ってしまう。そうなったら水をかけられるのがなんだかうっとおしくなり、自分も周りも嫌な気分になってしまう。なにごとも、ほどほどに楽しむのがいいということなのだろう。

 

チェンマイ行きの列車のチケット>

 カオサン通りで水をかけ合い、疲れたら川沿いのホテルでビールを飲んでのんびりする生活を過ごした後、僕はそろそろ別の町に行ってみようと思った。タイを訪れるにあたってこれといった目標はなかったけど、せっかくならぜひ一度会ってみたい人らがいた。首長族だ。

 首長族はミャンマーからの難民で、タイでは北部にあるメーホンソーンの近くに村を設けている。バンコクからメーホンソーンに向かうには、バスか列車、もしくは飛行機という手段があるけれど、このうちバスは体力的な面で、飛行機は金銭的な面で選択肢から消えた。僕はメーホンソーンまで夜行列車で行くことに決めた。

 だがそこでも問題が生じた。メーホンソーンに列車で行くには、チェンマイというタイ第2の都市で乗り換えなければならないのだが、このチェンマイバンコク以上に水かけ祭りが盛り上がることで有名だ。噂ではタクシーの扉を開けてまでバケツの水をぶっかけられるし、粘土も全身が真っ白になるほど塗りたくられるらしく、毎年国内外から多くの観光客が訪れるため、この時期に列車のチケットを取るのはおそらくかなり困難と思われた。

 それでも一応、バンコク中央駅の窓口に行ってみることにした。担当してくれたのは、ふくよかで無愛想な女性職員だった。僕は彼女に「ソンクラーンが終わる夜発のチェンマイ行きのチケットがほしい」と頼んだ。すると彼女は、これだから無知な観光客は、と言いたげな失笑をこぼし、「Nothing!」と僕をはねつけた。まあそうだろう。ソンクラーンなのと、それなのに働かされる女性のことを思えば、満席も彼女の態度も仕方がないと思えた。

「じゃあいつなら空いているか」と僕は続けて尋ねた。すると無愛想な職員は「Next」と答えた。どうやら幸運なことに、その次の夜なら空いているらしい。まあもう1日くらいバンコクを観光してみるのもいいか、と僕はそのチケットを買うことにした。

 

<宿を変えるも外れを引く>

 予定がずれたため、僕はバンコクにもう一泊することになった。いま泊まっている「ベラベラリバーハウス」は居心地がいいので延泊することも考えたが、ここからバンコク中央駅まではけっこう距離があった。それにどうせなら色々な宿に泊まった方が今後の参考になるとも思い、僕は市内中心部に宿を移すことにした。

 次の宿はサラーム駅から少し離れた場所にあった。「リリーズ・ホステル」という名前で、ガイドブックによるとそこのオーナーは中国系らしい。よくチャイナタウンや中国系の宿は値段が安い分ボロいと揶揄されているが、残念ながらここもその類型に該当していた。宿全体が薄暗く、部屋の鍵もあってないような状態だった。だが最もびっくりしたのは、部屋のテーブルになぜか干からびたコーンがこびりついていたことだ。僕はベラベラリバーハウスを出たことを後悔したが、こうなってしまっては仕方がない。どうせ1泊だけなのだから、コーンは見なかったことにしよう。

 

セブンイレブンでの奇妙な出会い>

 すでにソンクラーンに飽きてきてはいたものの、ひとり寂しく汚い部屋で過ごすのは、やはりわびしかった。なので僕はシャワーを浴びて(タイに来てから1日3回はシャワーを浴びるようになった)、街にくり出すことにした。目指すはバンコクの渋谷とも呼べるシーロムだ。ここではカオサン通り以上の盛り上がりが予想され、ソンクラーン最終日を過ごすにはうってつけだと言えた。

 宿からまでは、歩いて10分ほどの距離だった。けれどこの日のバンコクはいつも以上に蒸し暑く、すぐに汗だくになってしまい、僕は目の前のセブンイレブンに避難した。僕がバンコクで生き延びているのは、紛れもなくセブンイレブンのおかげだった。

 クーラーだけ浴びて出るのもなんなので、ついでに飲み物を買おうと飲料水のコーナーに向かった。そこにはひとりの男性がいて、どの飲み物にしようか念入りに選んでいた。この男性は少し様子がおかしかった。彼はなぜか僕の顔をじろじろ眺め、店を出た後もケータイで電話をしながら不自然なほどこちらを見続けていたのだ。

 男性の視線は、僕に先日のトゥクトゥク事件を思い起こさせた。もしかしたらこいつはスリかもしれない。すきがないかをうかがって、僕から金を奪おうと企んでいるのではないか?  その確証はなかったが、用心するにこしたことはない。僕は逃げるようにシーロムへ向かった。早足で立ち去ると、すぐに男の姿は見えなくなったが、彼の視線はいつまでも離れることがなかった。それは比喩的な意味ではなく、本当にそうだったのだが。

 

シーロムでの邂逅>

 狂乱、とはまさにこのことだった。シーロム駅周辺には何千もの人が集まっており、まるでそれがひとつの生き物であるかのように蠢いていた。そこにはなんと放水車まで用意されていて、群衆に向かって勢いよく放水を行っていた。人々の中心にある大型車の荷台には、ステージが設けられていて、そこでタイの有名なR&Bの歌手(おそらく)が歌っており、熱気をさらに盛り上げていた。

 けれどその狂乱の渦に飛び込めるほどの気力も能天気さも、このときの僕には残されていなかった。それに別の場所に移る気もなかった。どこに行っても水をかけられるし、あの宿にも戻りたくはなかったのだ。僕は路肩でタバコをふかしながら、目の前の凄まじい様子をただぼんやりと眺めるしかなかった。

 だが僕はひとりではなかった。ふと横を見てみると、見覚えのある顔があった。そこにいたのは、さっきセブンイレブンで僕に視線を向けていた男性だった。

「すごい光景だね」

 男性は微笑を浮かべながら英語で僕に言った。僕は驚きと緊張のせいで、そうですね、としか返せなかった。もしかしてこの男は、あとをつけてきたのか!?

 けれど恐る恐る話をするうちに、男性は決して悪いやつではないことが分かった。こんがりと日焼けをしているので分からなかったが、彼は韓国人で、休暇でブーケットに行ったついでにソンクラーンを見物に来たらしい。

「でも、ひとりだとさすがにさびしいよね……」

 男性はぽつりとこぼした。どうやら彼もひとり旅特有のもの悲しさに襲われているらしい。それが分かると、さっきまで抱いていた警戒心がほどけ、代わりに共感を覚えるようになった。僕たちはまるで長年の知り合いであったかのように、気ままな会話を交わした。そう、これはまさに一期一会だ。胸に宿したさみしさを、ひとときだけでも忘れさせてくれるこんな出会いこそ、旅の醍醐味なのだろう。

「なあ、これから一緒にメシでも食おうぜ」

 男性がさわやかな笑みを浮かべてそう言った。

「いいね! どっかいい店知ってるの?」

「あっちの通りがおすすめだね」

「へぇ、よく知ってるね」

「当たり前さ。バンコクにはもう何回も来てるからね、向こうには美味いチャイニーズレストランがあるし、ゲイもたくさんいるからね」

「ふーん、そうなんだ。ゲイがたくさんいるんだ」

 ……ん、ゲイ?

「ああ、あそこはバンコクのゲイ・ストリートなんだ」

 男性は満面の笑みをうかべて、ソンクラーンの盛り上がりとは逆の方向を指さしている。僕は最初、それがたわいもないジョークだと思っていた。けれどまっすぐに向けられた彼のつぶらな瞳は、それが彼の本質に関わる重要な要素であることを物語っていた。とたんに僕の背筋が凍りついた。それを察したのか、男性は探るように声を潜めて僕に尋ねた。

「…きみも、ゲイだよね?」

…………

……きみも?……

…………………………

「Nooooooooooooooo!!!!!!!!!!」

 僕はライオンの雄叫びのような声を出し、もげてしまいそうなほど首を激しく横に振った。このときばかりは夢中で水をかけ合っていた人々も僕を振り向き、ゲイの男性はひどくおびえた表情で口を開いた。

「……もしかしてきみは、No gay?」

 僕はこれまでの人生で最も紛れのない一言を発した。

「Yeeeeeeeessssssss!!!!!!!!!!!!」

 それを聞いた男性はひどく切ない表情浮かべ、そうか、とつぶやいた。僕は変に歪んだ笑みを浮かべながら、それとなく彼のもとから離れていった。彼はいつまでも遠ざかっていく僕を見つめていたけれど、すぐに雑踏の中に消えて見えなくなってしまった。もしかしたら彼は、ソンクラーンが産んだ幻だったのかもしれない。

 僕は決して同性愛者や性的マイノリティーの人に対して、偏見を持っているわけではない。でもこのときは状況が状況だけあって(男性は僕を尾行したわけだし)、日本で遭遇した場合の何倍もの恐怖を覚えた。お祭りだから一発ぐらい掘られても大丈夫だろう、とハメを外すようなまねも、当然できるはずがなかったのだ。

 そんな奇妙な出会いの後、僕は街を出歩くのが怖くなってしまった。もう楽しむ気にもなれず、仕方がなくそのまま宿に戻った。そしてソンクラーン最終夜を、干からびたコーンと一緒にわびしくやり過ごしたのだった。

 

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ソンクラーンの時期はいたるところが水浸しになっている。

バンコク ソンクラーン前夜祭

*この記事で書かれているのは、去年(2013年)のソンクラーンです*

<川沿いの宿>

 フェリーから降りると、雨が降りはじめた。スコールほど激しいものではなく、春雨のように細かな雨足だった。

 僕はレインコートを羽織り、目星をつけていた宿に向かった。バックパックごと覆ったので、はたから見たらミノムシのようだ。そもそもこれくらいの雨で雨具を使うタイ人は皆無だったので、なんにせよ奇妙な姿に映ったのだろうが。

 目指す宿は、ホワイトマンションで出会った日本人のおじさんに教えられたものだ。そこはカオサン通りから少し外れてはいるが、その分静かで快適に過ごせるし、比較的値段も安いらしい。おじさん本人はいけすかなかったけど、貴重な情報はありがたく活用させてもらうことにした。処世術とは、こういうことなのだ。

 チャオプラヤー川沿いの路地裏を歩いた先に、その「ベラベラ・リバーハウス」はあった。てっきりこじんまりとしたゲストハウスなのかと思いきや、50室はあろうかというホテル型の宿だった。気になったのはもちろん、料金だった。もし予算よりも高ければ別の宿を見つけようと決め、とりあえずフロントに確認した。すると、予想に反してシングルが一泊250バーツだという。部屋を見せてもらうと、クーラーはないが大型の扇風機があるのでそこまで暑さは気にならず、なにより清潔だった。Wi-Fiが繋がらないという欠点があったけれど、それさえ我慢すれば、当たりと言ってもいい宿だった。僕はここに、3泊することに決めた。

 

ソンクラーンの水かけ祭り>

 僕がカオサン通りに行きたかったのは、バックパッカーの聖地であることも一因だが、そこではソンクラーンもひときわ大きな盛り上がりを見せるだろうという期待があったからだ。

 ソンクラーンとはタイの旧正月を指す。そしてそれに際して行われる「水かけ祭り」は、タイ国民やこの国を訪れる観光客が待ちに待った一大イベントだ。お清めの水を身体にかける習わしが発祥なのだろうが、この時期の酷暑が影響してか、現在は町行く人に見境なしに水を浴びせまくる、めちゃくちゃなお祭りと化している。

 これは是非とも参加したいし、世界中からろくでもない人が集まるカオサン通りでなら、想像もつかないような出来事が起こるかもしれない。実際にはソンクラーンは明日からだったが、前夜祭が開かれるという情報はすでに仕入れていた。僕は急いでシャワーを浴び、一応ケータイや財布を防水パッキングに入れて、カオサン通りに向かった。雨はすでに上がっており、からっと乾いた夕日が辺りを赤く染めていた。

 

カオサン通りへ>

 旅先で出会った日本人の多くが、現在のカオサン通りに不満を持っていた。それはここがすっかり観光地化して、警察の目も厳しくなり、かつての危険で魅力的な雰囲気が薄まってしまったからだという。

 確かに僕もはじめてカオサン通りを目にして、なんだか日本の原宿のようだという感想を抱いた。通りには若者が好みそうなファストフード店やダイニングバー、それに路面店が軒を連ね、外国人の観光客であふれている。一言で表現するならまさに「おしゃれ」だった。とは言えよく目を凝らして見ると、様々な看板の中には「TATOO」と書かれた派手なものもあるし、一歩横道に入れば、強面のお兄さんが何やら怪しげなものを売っていた。自慢したくなるほど危険な目にあってきた玄人にとっては、チャチなものに成り果てたのだろうけど、少なくとも僕にとっては、カオサン通りは惹きつけられるほどのいかがわしさを、いまだに醸し出していた。

 ソンクラーン前夜のそんなカオサン通りは、すでに独特の熱気に包まれていた。子供用の水鉄砲を手にした外国人観光客と、ホースをかまえたタイ人による水のかけ合いがはじまっており、地面には雨とは別の要因で水たまりができていた。

 僕はなるべく騒動に巻き込まれないよう道の端を歩いていたが、当然見逃されるはずがなかった。ふいにタイ人のちびっ子が僕の前に現れ、水鉄砲を放った。僕はなすすべもなく顔面でそれを受け止め、ちびっ子は「うきゃきゃきゃ」と可愛らしい声を上げて、走り去っていった。言わずもながだが、僕とちびっ子は顔見知りでもなんでもない。これがソンクラーンなのだ。

 

カオサン通りのセレモニー>

 その夜盛り上がりを見せていたのは、実際にはカオサン通りの周辺だった。通り自体ではセレモニーが行われており、水をかける余裕もないほど、人でごった返していたのだ。せっかくなので、僕はそれを見物することにした。

 午後6時過ぎ。タイのテレビタレントであろう美男美女が進行役となり、セレモニーは幕を開けた。

 最初に行われたのは、栄典の授与式だった。通りの中央に設けられた舞台には台座があり、見るからに位の高そうな年配の女性がそこに腰かけていた。各界の功績者らしき人々はひとりひとり彼女の前に歩み寄り、一礼をした後、なにやら勲章のようなものを受け取っていった。彼らに勲章を手渡す女性の動作はとてもしなやかで、訓練では決して身につかない、生得的なもののように僕には思えた。

 だけど僕ら外国人観光客には、彼女の正体がよく分からなかった。「クイーン?」とひとりの白人女性がつぶやくのが聞こえたが、国王妃にしては年齢が若いし、それにしては警備もずさんだった。仮に人混みの中に暴漢がいたとしても、なんの苦もなく女性に襲いかかることができただろう。おそらく王族ではあるが、そこまで中心的なポジションの人ではないのかもしれない。ひとまず、僕は彼女を国王のまた従姉妹ということにして、疑問に終止符を打つことにした。

 授与式が終わると、タイでは有名らしいフォーク歌手の演奏がはじまった。そのまま聞き続けるのもよかったが、熱気で頭がぼうっとしてきたで、少し人混みから離れることにした。舞台から遠ざかり、マクドナルド(噂通り、ドナルドが合唱していた)に避難した。すると店内には、華やかな衣装を着た若いタイ人の女性たちがいた。これからセレモニーで演技をするのだろうが、このときの彼女たちはすっかりだらけきっており、スマホをいじりながらおしゃべりに興じていた。その姿は日本の女子高生とそっくりで、なんとも微笑ましかった。

 そんな若い女性たちの中で、ふてくされているのか、他とかなり温度差のあるグループがあった。よく見ると、彼女たちが着ているのはなぜか白い着ぐるみだった。どういうことかは、すぐに分かった。

 フォーク歌手の演奏が終わり、女性たちの番になった。華やかな衣装を着た子らは孔雀の羽のような扇子を持ち、さっきまでとはまるで違う上品そうな笑みを浮かべた。一方、着ぐるみを着た子らは縦列に並んで、長く伸びた衣を上から被った。そして最前列の子の頭には、猛々しい龍のマスクがはめられ、誰ひとりその顔を垣間見ることができなくなった。温度差はここに起因していたのだ。

 民族音楽をBGMに、華やかな衣装の女性たちは、まるで妖精のように踊りながら舞台に上がった。それに続いて数人がかりで再現された龍も登場し、見物人らを食わんとするかのように縦横無尽に駆け回った。多くの人は龍ではなく、美しい踊り子たちに釘づけになっていた。けれど僕は舞台裏をのぞいてしまったせいで、龍を演じる子らにばかり目がいった。おそらくこの日の演技のために猛練習と、選抜試験が行われたのだろう。顔を隠された子らはその戦いに敗れ、来年こそは自分も、と悔しがりながら龍を演じているのかもしれない。実際のところは分からないけれど、ソンクラーンの陰でくり広げられるそんな人間ドラマを想像し、僕はなんだか少し感傷的になってしまった。

 

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 セレモニーの一幕。

 

<馬鹿騒ぎの渦中で>

 セレモニーをその女性たちの演技で切り上げ、僕は水かけ祭りの方に参加した。通りの真ん中を歩く観光客に向かって、両サイドからタイ人が水鉄砲やホースで攻撃する。中にはすれ違いざまに顔に粘土を(おまじないかなにかだろう)つけていくやつもいる。服や身体を汚さずに観光することはほぼ不可能で、僕もあっという間に全身びしょ濡れになり、さらにはメガネに粘土をつけられる羽目になった。

 僕は例えばクラブとかで踊るようなタイプではないのだけれど、この夜ばかりは違った。通り全体に漂う熱気と、スピーカーから大音量で流されるハウスミュージックに、自然と気分も高揚していった。DJの煽りに応え身体を揺すり、見ず知らずの外国人と水をかけ合った。自分の中で、なにかが解き放たれたような快感を覚えていた。

 水かけ祭りはもともとは神聖な行事であったのだろうけど、僕が体験した限り、現在は完全な馬鹿騒ぎだった。それに語弊を覚悟で言うなら、なかなか性的なニュアンスがあるようにも思えた。例えば、男性が女性に水鉄砲をかける様は実に分かりやすい性行為へのメタファーだ(お立ち台でビールを売るタイ人の姉ちゃんの胸やお尻に向かって、太った白人のおっさんが水鉄砲で攻撃する姿は、いささか露骨だが)。それに通りすがりに粘土をつける行為も、正当な理由で異性に触れられるのだと思えば、よく練られた作戦だと言えなくもない。ただそれが原因で、男女間のトラブルになっている場面を何度か目にはしたのが。

 そもそも水をかけまくるだけなので、開催する費用もそれほどかからない。けれど日本でこのようなイベントを開いたとしても、成功はしないはずだ。水かけ祭りが成功している最大の要因は、やはり外国人観光客の解放感にある。暑さとどことなく不可思議な印象を持ったタイで行われるからこそ、人々は羽目を外して盛り上がり、水浸しになれるのだ。出しゃばらず、空気を読む習慣が染みついた日本でやったとしても、一部の若者は盛り上がるかもしれないけれど、その他大勢からは白い目で見られるだけだろう(サッカーW杯のときのように)。老若男女、そして外国人も含めみんなが盛り上がれるような祭りは、やはり海外に出ないと味わえないものなのかもしれない。そんなことをふと考えてしまうほど、この夜の水かけ祭りは最高に盛り上がっていた。

 だからこそ、僕はその反動でまた心細くなった。こんなに楽しいお祭りなのに、どうして僕はひとりでいるのだろう、と。もし根っからの楽天的な人ならば、つべこべ言わずに馬鹿騒ぎの中心に飛び込んでいけるのだろう。けれど僕にできるのは、通りすがりの人と水をかけ合うことだけだった。そしてその相手とは、すぐに通り過ぎてしまう。残されたのは、ビショビショになった僕だけだった。

 感傷的な気分がどんどん膨れ上がっていく。このままではマズいと気づき、今夜はもう引き上げることにした。まだまだ勢いを衰えない祭りの中を、そそくさとホテルの方に向かって歩いていく。横から何度も水をかけられるが、反撃する気分ではなかったのでスルーした。

 すると、ふいに僕の目の前にバズーカ型の水鉄砲を背負った大学生くらいの女性が現れ、僕に向かって放水した。声をかけられる前に、顔で分かった。彼女は日本人だった。

「もしかして日本人ですか!?」

 そうだと答えると、彼女は子供みたいにバンザイをしてはしゃいだ。僕が呆然と顔を拭っていると、彼女の元に2人の男性が駆け寄った。彼らもまた日本人だった。「すみません、突然」女が僕に言った。「私たち競争してたんです。誰が一番早く日本人を見つけて銃撃できるか、って。ね、この人日本人だから、私の勝ち。パッタイおごれよ!」

 悔しそうに顔をしかめる男性陣に、女性は鼻高々といった笑みを向けた。彼女たちの仲の良い姿を見ていると、さっきまでの感傷的な気分が薄らいでいった。僕もこの中に混ぜてくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いたのだ。

「これから帰られるんですか?」女性が僕に言った。

「そのつもりでした」と僕は答えた。

「ええー、せっかくの夜なのにもったいないですよ」

 彼女は心の底から残念そうに言った。

「でも、ソンクラーンはこれからですからね。体力は温存しとかなきゃ。気をつけて帰ってくださいね。さっきは突然襲ってしまって、どうもすみませんでした」

 彼女はぺこりとお辞儀をした。ほぼ90度に曲げられた彼女のお辞儀は本当にきれいで、僕はその感想を伝えようとした。けれどその前に彼女と2人の男友達は僕に手を振って、喧騒の中に消えていった。僕は彼女たちが見えなくなるまで手を振った。濡れた身体に吹きつける夜風は、とても肌寒かった。

 それから僕は宿の部屋に戻って、あったかいシャワーを浴びた。喉が渇いたので、祭りで余った500mlのペットボトルの水を飲んだ。飲み干すと、そのまま電気も消さず眠りに落ちた。鼓膜のあたりでは、馬鹿騒ぎの中で耳にしたハウスミュージックが、まだかすかに聞こえていた。

 

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水かけ祭りの一幕。

 

バンコク トゥクトゥクの魔の手とフェリー

トゥクトゥクの魔の手〉

翌朝、ぼくは予定通りホワイトマンションを後にした。昨夜の一件で寝不足だったが、3日目ともなれば身体もだいぶ慣れてきた。今日こそは、バックパッカーの聖地とも言われているカオサン通りに行ってやろう。

だが、ホワイトマンションからカオサン通りまではけっこう距離があった。そこで、ぼくはチャオプラヤー川のフェリーに乗ることにした。これは初心者のうちはバスは利用しない方がいい、というKさんとおじさん共通のアドバイスによるものだ。現に地図に書かれたバスの路線図は蜘蛛の糸のようでちんぷんかんぷんだし、バス停の表札もたいてい番号がかすれていてどれが来るのかよくわからない。それよりは1本の川を行き来するフェリーの方が安心で分かりやすいだろう。ひとまず、ぼくは1番近いフェリー乗り場を目指すことにした。

そして、案の定道に迷った。予定ではすでにカオサン通りの最寄り港についているはずだったが、いまだにフェリーにすら乗れず、自分がどこにいるのかも分からない。初日とまるっきり同じように、ぼくは汗をだらだらとかきながら異国の地をさまよい歩くことになった。

そうしているうちに街並みが一変した。急に赤や黄色を基調とした派手な建物が姿をあらわしたのだ。どうやらチャイナタウンに紛れ込んだらしい。街ゆく人も多くが東洋系の顔立ちをしていて、異国の中のさらに異国に迷い込んだかのようだ。地図によるとこの近くに乗り場はあるらしいけれど、いくら歩いても川らしきものは見えてこなかった。

 

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チャイナタウンにあった小さな寺。

 

救いの手が差し出されたのはそのときだった。同じ道を何度も行ったり来たりしているぼくを見かねてか、ふいにタイ人のおじさんが声をかけてくれたのだ。しかもありがたいことに、彼は英語が堪能だった。

「おい、日本人か。どこに行きたいんだ?」

カオサン通りです。すみませんが、フェリー乗り場はどこですか?」

「うん、フェリーで行くのか?」おじさんは顔をしかめた。「やめとけ、あんなもの。ちょっと地図を見せてみろ」

 おじさんはぼくの手からガイドブックを奪うと、地図の上になにやら書き込みをはじめた。他人のものを勝手にとは思ったものの、文句を言える筋合いはなかった。

「フェリー乗り場はこの道をこう行けばいい。でも、実はな、この川を通るフェリーは観光客相手にはぼったくるんだ。ウソじゃないぜ。これは現地の人間の中じゃ有名な話さ」

 それを聞いて、ぼくは昨日Kさんとの食事中に出たある話を思い出した。これはKさんの友人の体験談で舞台もカンボジアだったが、彼が船で観光していると、突然船員が金を出せとナイフを向けてきたらしい。助けを呼ぼうにも周りには誰もおらず、狭い船の上で逃げることもできない。仕方がなく、彼は100ドル近い金額を払って難を逃れたという……。

 じわじわと身の毛がよだってきた。このままフェリーに乗ったら、ぼくもそんな危険な目にあってしまうのだろうか。

「そ、それは本当?」

「本当さ。安く見積もって3000バーツはとられるな。だから、フェリーじゃなくてトゥクトゥクの方がいいぜ」

 おじさんの言う通りトゥクトゥクで行ってもよかったが、こちらはフェリー以上に評判が悪いことで有名だ。悪徳ではないとしても値段交渉に失敗したらだいぶ大目に払わされることになってしまうだろう。それなら熱中症になってでも歩いて行ってやろうかと思っていると、ぼくは次第にあるひっかかりを覚えるようになった。おじさんが過剰なほどトゥクトゥクを勧めてくるのだ。

「なぁトゥクトゥクに乗ろうぜ。安いからさ。この暑い中歩くのも大変だろう。トゥクトゥクだったら屋根もあるし快適だぜ。それにバンコクの色んなところを案内してやるからさ。ほら、あそこに1台停まっているし。おーい」

 おじさんが呼びかけると、客を乗せていないトゥクトゥクがあまりにも都合よく現れた。そして、ぼくはまたあることをはっと思い出した。

 手持ちのガイドブックには旅先で起きたトラブルについてのページがある。その中に、道に迷った観光客を言いくるめてトゥクトゥクに乗せ、目的地以外の場所に散々連れ回した後で大金を請求するトラブルのことが紹介されていた。いまのぼくを取り巻く状況は、まさにそこに書かれているのと同じではないか! 

 ぼくはフェリーのときとは別の恐怖心を覚えた。それはいままさに危険が目の前にあることへの、どこまでも冷たい戦慄だった。おじさんはなおも執拗にぼくをトゥクトゥクに誘っている。トゥクトゥクの運転手はニコニコと笑っている。

「道を教えてくれてありがとうございます。後は自力で行くので。では!」

ぼくは気丈を装いながらその場を去ろうとした。だがそのとき、おじさんたちの態度が豹変した。突然大声でなぜトゥクトゥクに乗らないのかと喚きはじめ、後をついてきた。これはまずいと、ぼくは慌てて近くのセブンイレブンの店内に逃げ込んだ。さすがに店の中には入ってこなかったが、おじさんは窓越しにぼくを見つめながらなにかを叫んでいる。しばらくの間、ぼくは棚の裏に身を隠した。店員からいぶかしげな視線を向けられたが、そんなもの知っちゃこっちゃない。

 数分後に再び顔をのぞかせると、おじさんはもういなくなっていた。ぼくも恐る恐る店を出る。辺りには彼らの姿はない。なんとか逃げ切れたようで、ぼくはほっと胸をなで下ろした。

 これを読んだ性善説を信じる人は、おじさんは悪者ではなくせっかくの親切心をぼくがむげにしたと思うかもしれない。けれどこの後、ぼくはおじさんがさっきのトゥクトゥクに乗って走り去っていくのを物陰から確かに目にしたのだ。やっぱり、彼らはグルだったのである。

旅先の親切ほど身に沁みるものはない。でも、都合よくもたらされる親切ほどいかがわしいものはない。そして、そのすべてを信じると、けっきょくは痛い目にあってしまうのだ。

 

<ごった返すフェリー>

 正午を回るころにはなんとかフェリー乗り場にたどり着くことができた。いつも通り髪の毛とシャツは汗でべったりと身体に貼りついていたが、それがかえって川の方から吹く風を心地よくさせてくれた。風に乗って、川のにおいも漂ってくる。

 待合場にはぼくのほかに母と息子の親子がいた。息子は小学校低学年くらいの少年で、何やらはしゃぎ回っては母にたしなめられていた。ふいに母がトイレかどこかに行ってしまうと、残された少年はヒマつぶしに辺りを散策し出し、当然ぼくのところにも近づいてきた。せっかくなので、ぼくはガイドブックにあるフェリーの航路図を彼に見せた。

「この停留所には行くの?」

 彼は緊張した様子で、こくりと小さくうなずいた。世間話でもしようかとしたところ、ちょうど母親が戻ってきたので、少年はすぐに彼女のもとへ走っていってしまった。そして、何事もなかったかのようにまたはしゃぎはじめた。

 しばらくしてオレンジ色の旗をかざしたフェリーがきた。フェリーには時間帯や料金によっていくつか種類があり、ぼくが目指すプラ・アーティットという停留所にはそのオレンジ旗船で行くのが1番早く安上がりだった。縄が係船柱にかけられてから、ようやく乗船する。船内は観光客や地元の人でごった返しており、足の踏み場もないほどだった。フェリーが再び動き出した。さっきよりも強く、気持ちのいい風が、人ごみの熱気を冷ましてくれた。

船に揺られながら景色を眺めていたら、荘厳な仏塔が現れた。ガイドブックで調べると、あれが三島由紀夫の『暁の寺』の舞台にもなったワット・アルンらしい。それを知ったとたん、ぼくは世間一般(どれだけいるのかは分からないが)の文学青年と同じように心が躍った。といっても、『暁の寺』を読んだのはもう何年も前で内容もほとんど覚えていなかったのだが。

 船内に目を向けると、変な筒を持ったおばさんが乗客をかき分けながら船内を練り歩いていた。周りの人々がおばさんにお金を渡しているところから、どうやら彼女は乗務員で、筒はチケットを発行するためのものらしい。ぼくのところにも来たので、恐る恐る20バーツ差し出した。すると、おばさんは顔色ひとつ変えずごく事務的にチケットと15バーツのお釣り(ちなみに筒の中にはお釣り用の小銭が入っており、おばさんが歩くたびにジャラジャラと音が鳴る)をぼくに渡した。これではっきりした。フェリーの料金は15バーツ、3000バーツの200分の1なのだ。

 

 次の停留所が近づくと、どこからか鐘の音が鳴り響き、乗務員のおばさんが停留所の名前を大声で叫びはじめた。停船すると人々が次々とフェリーを降りていくが、すぐにまた同じだけの数の乗客が押し寄せ、船内の熱気は引くことがなかった。

 この一連のダイナニズムはまさにバンコク市民の生活を端的に表していた。チャオプラヤー川に吹く風を堪能しながら、なにはともあれ、フェリーを選んだのは正解だとぼくは思った。

 

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 チャオプラヤー川沿いから眺めるワット・アルンと観光客。

バンコク 幻のムエタイと深夜のノック

MBKのガジェットゾーンへ>

 まだ時間が早かったこともあり、夕食の前にKさんの買い物につき合うことになった。どこかの屋台にでも行くのかと思いきや、向かった先はまさかのMBKだった。正直またかと思ってしまったけれど、そんなぼくの浅はかな落胆はすぐにかき消されることになった。

 就職が決ったらKさんはバンコクで暮らすことになるため、ぼくらはまずインテリアや家電を見て回った。とは言え、このときはただ値段を確認しただけで、Kさんの目当ては別にあるようだった。

 エスカレーターで他の階に向かうと、休憩コーナーらしき場所にたどり着いた。そこではゲームセンターにあるアーケードのゲーム機で子供たちがサッカーをしていた。よく見ると、それはぼくも遊んだことがあるウイニングイレブンだった。

「ほら、あれ見てみ」

 Kさんが指さした方に視線を向けると、なんと、彼らが操作しているのはプレイステーションのコントローラーだった。

「もしかして……」

「そう。おそらく機械はハリボテで、中にプレステがそのまま入ってるんやろうな。しかもたぶん、無許可で」

 にわかには信じられない話だったが、コントローラーから伸びる貧弱なケーブルを見る限り、あながち嘘でもないようだ。ぼくはジャブを受けたようなよろめきを感じながら、先を行くKさんの後に続いた。

そのフロアではスマートフォンやパソコンなどのガジェットが主に売られていた。小さな店がところ狭しと設けられ、ガラスケースの中にはアイフォンやデジカメなどが展示されている。さらにはDVDCDなども売られているが、Kさんいわく多くはコピー商品であるらしい。昼に来たときはこんなアンダーグラウンドな空気に満ちた場所があるとは気づかなかったので、ぼくは新鮮な驚きを覚えた。それが顔に出ていたのだろう、Kさんは愉快そうに笑いながら、これがタイなのだとぼくに言った。そして、彼はある店の前で立ち止まった。

「ここでなにか買うんですか?」

「うん。面接ない時間はヒマやから、ゲームでも買おうと思って」

 Kさんはゲームソフトのパッケージが並ぶガラスケースをのぞき込むと、その中のひとつを店員に取り出させた。それから簡単な英語と電卓による値段交渉がはじまった。5分ほどの闘いが続いた後、店員は店の奥からソフト本体を持ってきて、Kさんはうらめしそうに紙幣と差し出した。売買終了。彼の苦笑いからするに、あまり納得のいく結果ではなかったようだ。

「これ買う金で1日暮らせるんやけどなぁ。まぁいいか」

「それもヤバいやつですか?」

「いや、これは正規のやつやで。値段もまけられへんかったし。ただ」

「ただ?」

「日本では明日発売されるやつやねん、これ。タイだからこそのフライングゲットってわけや!」

 そう言って気持ちよさげにAKBの歌を歌うKさんの横で、ぼくはこの国がツッコミどころ満載であることをようやく理解しはじめたのだった。

 

ムエタイを見るはずが……>

 それから別のフロアを色々と回っていると、最上階のシネマ・コンプレックスへ続くエスカレーターの前に看板が置かれていることに気づいた。それはムエタイの試合を宣伝するものだった。タイ語なのでくわしくは分からなかったが、どうも建物前の広場で月に2度ムエタイの試合が観覧無料で行われるらしい。しかも、今日はまさにその日じゃないか!

 これは見に行くしかないと、ぼくらは急いで広場に向かった。そこにはたしかに特設のリングがあった。開始時間まであと10分ほどある。この試合を見物してから夕食にすることにして、ぼくらはタバコをふかしながらそのときを待った。

 だが、開始予定時間3分前になっても、一向にはじまる気配がない。多少遅れるのはタイじゃよくあることや、とKさんは落ち着いていたけれど、リングの上にはまだ藁のようなものが敷き詰められているし、集まっているのは白人や東洋人などの外国人観光客しかいない。現地のタイ人は、まるでリングが見えていないかのように次々と通り過ぎていく。

 そして開始時間になり、さらに10分が過ぎた。さすがにKさんもおかしいことに気づいて周りの観光客に話しかけてみるが、彼らもよく分らないみたいだ。そこでたまたま通りかかったバイクタクシーの運転手に聞いてみると、あっさり「ノーファイト」と返された。ぼくたち間抜けな外国人観光客はいっせいに落胆の声を上げた。

 看板には確かに今日の日付が書かれていたが、もしかしたらタイ人にしか分からない暗号が隠されていたのかもしれない。Kさんは苦笑を浮かべながら、まぁこれがタイや、ともはや決り文句と化した言葉を吐いた。期待したムエタイは見られなかったが、この国では不測の事態は日常茶飯事であることを、ぼくは身を持って知ったのだった。

 

バンコクのフードコート>

 日も暮れてきたので、ぼくらはようやく夕食を食べに向かった。屋台でもよかったが、せっかくなのでMBKにあるフードコートに行ってみることにした。

 ショッピングモールやバスターミナルなどの施設にあるフードコートは、どこも同じような仕組みになっている。タイではまず受付で全店統一の食券を買うことになる。使わなかった分は払い戻しがきくので、多少大目に買っておいても大丈夫だ。あとは目当ての店に行き、好きな料理を選ぶ。英語が通じない店もあるが、大抵メニューに番号が書かれているので「ナンバー1、プリーズ」のように言えば注文できる。ぼくもよく分らないまま、とりあえず目についたご飯の上に鳥肉とキュウリが乗った一品を頼んだ。それが「カオマンガイ」というタイの定番料理であることは、このときはまだ知らなかった。

 別の店で選んでいたKさんと合流し、席に着いた。彼はぼくが選んだ料理を目にすると、すこし顔をしかめた。どうかしたのかとぼくが尋ねると、あまりいい選択やないな、手厳しい一言を返された。

「それ、ちょっと量が少ないやろう。いくらした?」

「40バーツでした」

「うーん。高すぎるわけやないけど、屋台やったら同じ量でもっと安いところがあるやろうしな。俺が選んだやつも40バーツやで」

 見ると、Kさんの皿に盛られたタイカレーは、ぼくのよりもだいぶ量が多かった。

「タイの食事は基本的には安いけど、日本人にとったら一食の量が少ないねん。やから、食べ歩きするにはいいんやけど、安くすまそうと思ったらなるべく量を出してくれるところを見極めた方がいいで」

 言われてみれば確かに今朝のセンレックもそうだった(朝食としてはちょうどいい量だったが)。これからほそぼそと食いつないでいくことになるのだから、そのような観察眼も養わなければならないのだろう。

「あと、意外とコンビニの冷凍のチャーハンとかもコストパフォーマンスがええで」

「あの、ありがとうございます」照れのせいか口ごもってしまった。「Kさんの話はすごくためになります」

「お、おう。そんな褒めても何も出んで。まぁでも、2ヶ月も旅するんやから、物価が安いとはいえ節約せんとな。って偉そうなこと言う割に、俺ゲーム買っちゃってんけど」

 謙遜しつつも笑いを取るKさんからは、関西人気質とともに、これからバンコクで暮らすことへの気概のようなものがうかがえた。旅先での貴重な出会いをかみしめつつ、ぼくは久しぶりに食事を楽しむことができた。

 

<深夜の謎のノック>

 夕食を終えてゲストハウスに戻ると、テラスで昨日のおじさんがくつろいでいた。ぼくを見つけると、まだいたのかといういぶかしげな視線を向けられた。昨日こっぴどく叱られたこともあって、ぼくは会釈だけ返してそそくさと建物の中に入った。どうも歳の離れた人は苦手だ。

Kさんの部屋の前にくると、ぼくは改めてお礼を言った。明日ぼくはカオサン通りの方に移動し、Kさんも朝から面接があるので、ここでしばしのお別れになるのだ。

「数カ国巡ったらバンコクに戻るので、そのときはまたお会いしましょう」

「おう。たっぷり就職祝いしてや。じゃぁ、旅、気をつけてな」

固い握手を交わし、ぼくらはそれぞれの部屋に戻った。昨日までは憔悴しきっていたぼくだったが、Kさんとの交流でなんだか旅をやり通せるような気がしてきた。これから先も色んな人との出会いが待っているだろう。心地よい胸の高鳴りを覚えながら、ぼくはしばしの眠りに着くことにした。

 ところが、そんなぼくの熱意に水を刺すかのような出来事が起きた。

 眠りに落ちてから数時間後、突然、物音が聞こえた。クーラーのうねりかと思ったが、違った。誰かが部屋の扉をノックしているのだ。Kさんだろうかと思い扉を開けようとしたが、ふいに昨夜のおじさんの言葉が頭をよぎった。

「夜中にノックをされても、絶対に扉を開けたらだめですよ。そういう場合はたいてい、強盗か娼婦なんですから」

 よくよく考えてみれば、明日早いKさんがこんな時間にぼくを尋ねてくるはずがない。だとしたら、強盗か。扉の向こうでナイフか何かをぼくに向けているのだろうか。それとも、夕方に出会ったあのタイ人女性だろうか。彼女はやはり娼婦で、日本人のぼくをカモとにらんで夜中に押し掛けてきたのだろうか。いやもしかしたら、あのおじさんがぼくを説教しにきたのかもしれない。ほら、昨日あれほど言ったのに扉を開けた。そんなんじゃいつか必ず殺されますよ……。

 ノックはしばらくして止んだ。けっきょく、正体が誰なのかは分からなかった。けれどその音は、ぼくの心をかき乱すのに十分すぎるほどの衝撃だった。やっぱり、異国は怖い。いますぐ日本に帰りたい。ぼくは初日のようにすっかり怯えてしまい、情けないほど震えながらその夜を過ごしたのだった。

 

 

 

バンコク 屋台とタイ人女性

<センレックを食べる>

 クーラーを利かせたまま寝てしまったので、寝起きはむしろ肌寒かった。おもむろに起き上がり、しばらくぼーっと部屋を見回す。そこが日本の自分の家ではなくバンコクのゲストハウスなのだと気づくまで、少し時間がかかった。

 時間はすでに10時を回っていた。今日はカオサン通りに行く予定だったけど、これからまた荷物を担いで炎天下を歩くのかと思うと急に行く気が失せてしまった。タイの灼熱の空気は、人をとことんずぼらにさせてしまうようだ。

 ぼくはこのホワイト・マンションにもう一泊することにした。着替えを済ませ、街歩き用のリュックサックに必要なものを詰め込み、部屋を出る。たどたどしい英語でオーナーのおばさんにその旨を伝えると、彼女はとても事務的に台帳に記入し、ぼくに宿泊費の500バーツを要求した。プミポン国王が描かれたピンクの紙幣1枚を渡すと、それでおしまい。ぼくは今日もここに泊まることになった。

 さて、今日はどうしよう。とりあえず、ものすごくお腹が空いている。よく考えたら、昨日からろくに食事を取っていなかった。このままだと強盗やテロとかに合う前に餓死してしまいそうだ。

何を食べようかと思案していると、オーナーのおばさんがどうしたのかと話しかけてきた。ちょうどいい、とぼくはリュックサックに入れた『旅の指さし単語帳』を取り出した。この本はタイ語のほかにカタカナ表記の読み方とイラストが書いてあるので、目的の言葉を指さすだけで意思疎通ができるというかなり便利なアイテムだ。

「ヒウ・カーオ(お腹が空いた)」

 と書かれたイラストをぼくは指さした。すると、おばさんはぼくから本を奪い、「ヤーッ・キン・アライ(何が食べたい?)」と言いながらその単語を指さした。ぼくは別のページに描かれていた「クイッティアオ(米の白い麺)」のイラストを彼女に見せた。だが、麺と言ってもいくつか種類があったので、とりあえず適当に「センレック(細麺)」という単語も加えてみた。

 要望を理解したおばさんは、ぼくをゲストハウス前の屋台につれて行ってくれた。そこの主人と何やら話をした後、彼女はぼくにさっきの言葉を言うよう促した。

「クイッティアオ・センレック」

 ぼくがそう注文すると、主人はあい分かったという感じで手際良く麺を煮始め、あっという間においしそうな一杯を渡してくれた。1杯40バーツ。およそ120円だ。

 さっそく屋台のそばのテーブルでタイ人に混ざりそれをいただいた。味はまさに絶品だった。麺は素麺のような食感で、するするとのどの奥に吸い込まれていく。さすがは本場だけあってスープは少し辛いけれど、鳥ガラの出汁が利いていてほっこりさせられる。ここからさらに味にアクセントがほしい場合は調味料や香料をお好みで入れてもいい。だが、ぼくは分量が分からず入れ過ぎてしまい、屋台に置いてある飲み水を何倍も飲む羽目になった。ちなみにこの飲み水だが、ぼくは滞在中一度も腹を下さなかったので、たぶん安全だと思う。それでも心配な人は、コンビニやスーパーで500ミリペットボトルのものが6バーツ(約18円)で買えるので、それを常備しておいた方がいいだろう。なんにせよ、ひさしぶりのちゃんとした食事ということもあり、ぼくはあっという間に完食した。

 

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 センレック。調味料を入れ過ぎて舌が焼けた。

 

バンコクのショッピングモール>

 屋台の店主に礼を言うと、ぼくはさっそく観光に出かけることにした。昨日はただ歩きまわっただけだったので、今日からは色んな名所を訪れてみようと思ったのだ。

 けれど、その意気込みはまたたく間にしなだれてしまった。この日も相変わらずの炎天下であっという間に汗だくになり、とても歩き続けられる状況ではなかった。そこで、ぼくは文明社会最大の発明品クーラーの施しを求めに行った。

バンコク中心地にはサーヤム・パラゴンやMBKといったショッピングモールが何軒も建ち並び、東急や伊勢丹などの日本資本の商業施設もある。まるで日本の渋谷のようだと感じたが、建物の周辺には屋台や路上生活者が多く見受けられ、ここが異国の地であることを再認識させられる。

 昨日学んだ通り、建物の中は楽園だった。外の暑さなどなかったかのような涼しさに、ぼくはこの時代に生まれてよかったとしみじみ感じた。ものの3分もかからないうちに汗がひくと、せっかくなので中をぶらついてみることにした。

軒を連ねるのはブランド品やファーストフードの店など、日本にあるものと代わり映えはしないが、興味をひかれる店がいくつかあった。たとえば吉野家。店の前に掲げられたメニューを見ると、牛丼は日本とそう変わらない値段で売られている。日本では安い小遣いで頑張るサラリーマンの強い味方だが、物価の安いタイではちょっといいレストランにあたるようだ。

それにダイソーもあった。日本の100円ショップと異なり、バンコクでは全品60バーツ(180円!)と倍近い値段で売られている。日本に来るタイ人観光客がこぞってダイソーでショッピングする理由はこのへんにあるのだろう。

 中を見てまわるうちに、今度はクーラーに当たり過ぎて寒くなってきた。そこでいったんショッピングモールから出るが、すぐにまた暑さに負けて別のショッピングモールに避難する。そういうことを何度か繰り返しているうちに、時間はどんどんと過ぎていってしまった。これも異文化体験のひとつだと言い訳しつつも、自分は何のために異国にきたのだと情けなくなってしまった。

 

<Kさんとの再会>

 午後を回り身体の汗臭さが目立ってきたので、いったんシャワーを浴びるために宿に戻った。すると、一人の男性が宿の前のテラスでタバコを吸っていた。昨日会った日本人のKさんだ。彼はぼくと目が合うと、気さくに声をかけてきた。ぼくはたじろいだ。昨夜のおじさんの一件で、ぼくは彼に対して不信感を抱いてしまったのだ。

 けれど、流れで少しおしゃべりをしてみると、ぼくの誤解はあっさり解消された。話しによると、Kさんはさっきまで日系企業の面接を受けに行っていたらしい。確かに着ているものはスーツだし、話そのものにも信憑性があった。どうやら本当にバンコクで就職活動をしているらしく、ぼくは彼を勝手に悪い人だと思い込んでいた自分を恥じた。

「やっぱり英語が話せないとだめやね」Kさんは煙とともにぼやいた。「いきなり英語で質問されてな、全然答えられへんかってん。おれの妹はカナダ留学してたからそれなりに話せるんやけど、やっぱそれくらいの経験は積んでおいたほうがよかったなぁ」

「SEでもやっぱり英語は必要ですか?」

「そら、ないよりはあった方がええしな。おれな、就職が決ってからもこっちで英会話学校に通うつもりやねん。日本と比べたらバンコクの方が何倍も安いし、英語を使わんとあかん環境やからだいぶ伸びるやろうし。きみも英語はある程度話せるようになっておいた方がええよ、ほんまに」

 昨夜ぼくは自分が大学院生だと誤魔化していたので、Kさんは親身になって色々と就活のアドバイスをしてくれた。いまさら本当のことは言い出せないし、状況は異なれど帰国後に就活をすることになるだろうから、ぼくも真剣に耳を傾けた。そうしているとなんだか打ち解けてきて、Kさんは近くの屋台で売っていたスプライトをおごってくれた。やっぱり彼はいい人ではないか。ぼくは昨日のおじさんに八つ当たりのような怒りを抱いた。

さらに、ぼくとKさんは一緒に夕飯を食べに行くことになった。一時間後に再集合することにして、ぼくたちはいったん部屋に戻った。さっそくシャワーを浴びてみたら、身体がひりひりと痛んだ。鏡で確認してみると、首の回りや腕が真っ赤になっている。二日目にしてこれだと先が思いやられたが、肌がもっと黒くなるころには、きっとこの地での生活にも慣れているだろう。現にKさんやおじさんの肌は、タイ人のそれと遜色がないほど焼けているのだから。

 

<タイ人女性の誘惑>

 身支度を済ませると、テラスに向かった。Kさんはまだいなかったので、ぼくは日本から持ってきたメビウスを吸いながら彼を待つことにした。昼間よりはだいぶ暑さが和らいだ空気の中に、白い煙が溶けていった。

 吸い終わった後、ちょっとした出来事が起こった。突然、向こうから黒のタンクトップにショートジーンズというなかなか刺激的な格好をしたタイ人女性が現れ、ぼくに話しかけてきたのだ。このゲストハウスの従業員だろうかと思い軽くあいさつをすると、なぜか彼女はぼくのとなりの席に腰を下ろした。

女性は親しげに話しかけてきたけど、タイ語なのでよく分らない。そこで、ぼくは今朝と同様『旅の指さし単語帳』で会話をすることにした。単語をつなぎ合わせて推測するに、彼女はいま大学生で、授業のない日にはMBKでアルバイトをしているらしい。自分も大学生だと嘘をつくと、彼女はさらに距離を縮めてきた。甘い香水のにおいが漂い、胸の谷間が目の前に迫る。ぼくは動揺を隠そうとタバコに火をつけたが、額からは暑さによるものとは別の汗が流れた。そんなぼくを女性は笑みを浮かべながら見つめ、汗を手でぬぐってくれた。ぼくはさらに動揺した。

 Kさんが現れたのはそのときだった。後ろから彼の呼ぶ声が聞こえると、なぜか女性は急にするりとぼくから離れ、手を振ってそのまま去ってしまった。あまりにもあっけなかったので、いままで白昼夢を見ていたのではないかと思ったほどだ。お邪魔やったかな、とKさんに茶化されたけど、内心、ぼくはほっとしていた。

 彼女が本当に大学生だったのか、それともその手の仕事をしている人だったのかは分からない。そもそも、女性ですらなかったのかもしれない(タイではよくあることだ)。けれど、彼女と触れ合ったことで、ぼくは自分が非日常な世界に飛び込んでいることを再認識させられた。いまだ静まらない動揺をもてあそびながら、ぼくはKさんとともにバンコクの街にくり出した。

 

 

バンコク 謎の日本人のおじさん

【ようやく宿に】

ホワイト・マンションは、その名の通り白のペンキが塗られたゲストハウスで、建物自体は新しくはないが、決してボロいというほどでもなかった。中に入ると、ひまそうなおばさんがカウンターに座ってのんびりとくつろいでいた。彼女はぼくに気づくと、面倒臭そうに早口で英語をまくしたてた。

「エアコンディショナー?」

 何を行っているのかほとんど分からなかったが、それだけは聞きとれた。とりあえずイエスと答えると、おばさんは引き出しからカギを取り出して、ぼくを奥の部屋へと連れて行ってくれた。

1階の1番奥にあるその部屋は、ベッドだけが置かれた非常に簡素なものだったものの、トイレとシャワーがついていた。と言っても、中学校のプールに備えつけられているような必要最低限のものだったが。いくらかと尋ねると、彼女は500バーツと答えた。この値段が高いのか安いのかはよく分らなかったが、これから他のところをあたる気力も残っていなかったので、チェックインすることにした。

 

【シャワーで洗濯】

さっそくシャワーを浴びてさっぱりしたら、次に汗でびしょびしょになった服を洗濯することにした。ビニール袋に洗剤と服を入れ、そこに洗面台の蛇口から水をそそぐ。手で服の汚れを落としたら、水を捨てて今度はシャワーで泡を洗い落とす。しっかりと絞って水を抜き、最後は部屋にかけた紐に服を吊るして部屋干しする。なかなか重労働だが、少しでも節約する必要があった。それに水浴びも兼ねているので、案外気持ちよくもあった。

 身も心もリフレッシュしたら、空腹であることを思い出した。けれど、炎天下に出たらまた汗が湧き出てシャワーを浴びた意味がなくなるし、もう一歩も動きたくなかった。なので、飛行機の機内で配られたクッキーだけを食べ、本格的な食事は日が傾いてから取ることにした。

クッキーをあっという間に食べ終えたら、だらりとベッドに寝転がった。待ってましたとばかりにすぐに疲れと眠気が襲ってきて、ぼくはそのまま眠りに落ちてしまった。

 

【謎の日本人のおじさん】

 目が覚めたころには、日もだいぶ傾いていた。飯でも食いに行こうと思ったが、その前に無性にタバコが吸いたくなったので、まずは一服することにした。

 ゲストハウスの前に設けられたテラスでタバコをくゆらせながら、通りを行き交う人々を眺める。ぼくと同じようにバックパックを背負った旅行者もいれば、屋台を引いて歩くタイ人もいる。道路の向かいには暇そうにしているタクシーの運転手がいて、なにやらぼくを見ながら指を天に向けている。指先に目を向けると、1本の木があり、耳を澄ますと、その葉の茂みから鳥のさえずりが聞こえた。なんてことはない鳴き声だったが、日中の喧騒とは異なるバンコクの穏やかな一面をかいま見られた気がした。

 タバコを吸い終えると、食事に向かおうとした。だがそのとき、ふいに後ろから日本語で話しかけられた。

「日本人の方ですか?」

 振り返ると、白のTシャツに短パンをはいた初老の男性が立っていた。最初、ぼくは彼が日本語の上手いタイ人だと思った。日焼けした肌もそうだが、なにより雰囲気が完全に現地の人のそれだったからだ。けれど、ぼくが日本人ですと答えると、彼は自分もそうだと顔をほころばせて他にも色々と尋ねてきた。観光で来たのか? どれくらい滞在する予定だ? などと言った質問に答えているうちに、ぼくは食事に出る機会を見失ってしまった。けれど、慣れない異国の地で日本人に出会えたことで、不安が少し解消されたことも確かだった。

 それからゲストハウス前のテーブルを囲んで、そのSさんとしばらく話すことになった。彼は自称「タイ人よりもタイに詳しい男」で、仕事を退職した後はこうして悠々自適にタイで暮らしているらしい。ホワイト・マンションのオーナーとも懇意にしているらしく、バンコクでは必ずここで滞在すると決めているそうだ。

「でも珍しい。あなたくらいの年齢の人は普通カオサンの方に行くのに。ここは中級者向けの場所ですよ」

「いやぁ、最初はそちらに行こうとしたんですけど、道に迷ってしまって」

「えっ」

 Sさんは少し耳が遠いらしく、話の途中で何度も聞き返してくる。

「道に迷ったので、もうここでいいやってことにしたんです。明日カオサンの方に行こうかなって」

「ああ、そうですか。海外旅行は何度目なんですか?」

「初めてです」

「えっ」

「タイが海外初体験なんです」

 それを聞くと、彼は驚いたというよりは呆れた顔を見せ、しまいには同情するかのような表情を浮かべた。

「人種のるつぼと呼ばれるタイに、よくもまあ……」

Sさんのもの言いはあまり心地よくなかったが、海外経験の長い彼の話は、タイだけでなく旅そのものの知識が不足しているぼくにとっては貴重だった。いわく、今年の1月からタイの最低賃金が引き上げられたのと、アベノミクスによる急激な円高のせいで、『地球の歩き方』に乗っているホテルの料金表はあまり当てにならないらしい。後になってすべてのホテルがそうだとは限らないことに気づいたが、確かに値上げしているところも多く、ガイドブックをそのまま信じてはいけないのだと教わった。それから、おすすめのゲストハウスや移動手段、タイで守るべき文化なども聞き出すことができた。ただ、学生かと尋ねられた際は、とっさに大学院生だと嘘をついてしまった。就職もせず旅に出ている後ろめたさが、そうさせたのかもしれない。

 

バンコクで就活中の日本人】

 話し始めて30分ほど経ったこと、また聞き覚えのある言葉で誰かに話しかけられた。

「日本の方ですか?」

 声の方に目を向けると、真っ黒に日焼けした線の細い青年が立っていた。彼の見かけはタイ人とそっくりだったが、Sさんと違ってすぐに日本人だと気づいた。体から放つ空気が、どうも周りの空気と調和し切れていない感じがしたのだ。そうです、とぼくがさっきと同じように答えると、青年は自分もだとうれしそうに言いながらこちらに歩み寄ってきた。どうやら、タイには意外と日本人が多いようだ。

 その人はKさんと言って、日本ではSEとして働いていたらしい。だが、向こうではこの手の仕事は飽和状態にあって、収入も労働環境もあまりよくない。そこで心機一転、日本を離れてバンコクで就職活動をすることにして、現在はホワイト・マンションに滞在しながら日系のIT企業への就職活動に取り組んでいるのだそうだ。陽気な性格で、母国を離れて1人で挑戦するだけの自信を漂わせた好青年だった。

「もちろんタイやと日本より収入が減りますけど、いま受けている会社は月収22万円を約束してくれてるんです。それだけあったら、こっちやとそれなりにいい暮らしができますしね」

 Kさんは関西弁混じりのなめらかな口調で話した。おそらく、その話術はサラリーマン時代に培ったものなのだろう。彼はまるで得意先から契約を取りつけるかのように、Sさんにバンコクで部屋を借りるとしたらどれくらいの相場なのかを聞き出そうとした。だが、さっきまであれだけぼくに情報を教えてくれたSさんは、急に話を渋りはじめた。

「まあねぇ、郊外に住んで1万バーツとか……」

「そうなりますよね。でも、ぼくの希望としては、駅が近くにあって、あとエアコンもほしいんです。やっぱタイって暑いじゃないですか。ぼく、扇風機だけやと熱中症になってしまうんですよ。そう考えると、2万、3万バーツはかかりますかねぇ」

「えっ?」

「駅に近いところだと、なんぼくらいですかね?」

「……日本人がバンコクで働くのは、そんな簡単なものじゃないですよ」

「えっ?」

「えっ?」

 お互いに聞き直したので、変な間が生まれた。先に口を開いたのはSさんだった。

「私の知り合いはね、3万バーツで働かされてますよ」

 その声には苛立ちのようなものが込められていた。そして、とうとうSさんは、Kさんとなぜか僕に対して説教をはじめてしまった。

「タイで生きるのは、そんなに甘いことではないのですよ。タイ人はとてもプライドが高いですからね、そう簡単に外国人にいい仕事を与えてはくれません。タイ人にこき使われて、肉体労働を強いられている日本人を私は何人も知っています。挙句の果てには、仕事をなくして、犯罪に手を染める人もいます。そんなに上手くいくかどうか」

「いや、でも」Kさんが反論するように言った。「ぼくが面接を受けたところは、日系企業ですし、一応技術職ですからね」

「えっ?」

 Sさんはまた聞き返したが、Kさんは何も言わなかった。テーブルの下で激しく貧乏ゆすりをしているので、かなり苛立っているのだろう。ありがたい忠告だが、これから新天地で頑張ろうとしている人にとってはいささか水を指さす話ではあった。

「タイはね、恐ろしいところです。いままで何人もの日本の若者に会いましたが、どうも考えが甘い。ここが外国だってことをあまり考えていない方が多過ぎるんですよ。ええ、そうですとも。海外で生きるのはそんな甘いもんじゃないんですよ」

 

【旅の初日で説教される】

 だんだんと愚痴のようになってきたSさんの話が一区切りつくと、Kさんは明日も面接があるからと自分の部屋へと帰ってしまった。Kさんがいなくなると、Sさんの話し相手は僕だけになった。僕は空腹で仕方がなかったが、Sさんは食事以上の価値があると言わんばかりに話を続けた。

「就職活動をしてるだなんで、どこまで本当なのか」

どういうことかと尋ねると、彼は声をひそめて、まるでぼくを脅しつけるかのように話を続けた。

「私はこれでも日本では国税局に勤めていましてね、脱税している人間を何人も摘発しました。だから、嘘をついている人間はすぐに見破れます。これはあなたより少しだけ長生きしている人間からの忠告ですがね、簡単に日本人を信じてはだめですよ。ここではタイ人よりも日本人が怖いんです。彼らは帰る場所なんてないんだから、なんでもしますよ。麻薬を荷物に忍び込まされて、空港で捕まった日本人の話を知ってますか? ここでは犯罪の片棒を担がされるだけで、死刑になってしまうこともあるんですよ。最悪、あなただけの問題ならいい。あいつらは、あなたをエサに、あなたのご両親をゆするんですから。あなたみたいな人はね、私らから見たら格好のカモなんですよ。きれいな服を着て、日焼けも全然していない。ああ、この人は旅慣れていない日本人なんだって一発で見分けられますよ。それにさっき、あなたは私にどこに泊まっているだとか、所持金がいくらだとかを簡単に教えてしまいましたよね。そんなこと、初対面の人に言っては、ダメ。どこでこの話を盗み聞きしている人が居るか分かりませんからね。つい先日も、このホワイト・マンションの私の部屋に空き巣が入ったんですよ。いえね、私はちゃんと二重ロックをかけていましたから、なんとかカギを壊されただけで済んだんですが。つまりは、それくらい危ないところなんですよ、このバンコクは。なめてかかると痛い目に会うんだってことを、よく理解しておいた方が身のためですよ」

 思わずたじろいだ。Sさんの言い分は最もで、ぼくはどこか海外をなめてかかっていた部分があったのだ。ここまでの道のりもそうだ。簡単に目的地につけると思っていたら、道に迷って結局着けずじまいになってしまった。今日は運が良かったものの、この調子であと2カ月も旅を続けられるとは、考えるまでもなく難しいことだった。

 それに、Sさんの「日本人を信じるな」と言う言葉が重くのしかかった。実は、さっきのKさんはぼくの所持金を狙っていたのかもしれない。そして、この言葉は裏を返せば、それを口にした自分も危険な人物であると、Sさんは暗にほのめかしているのではないか? ぼくはなんだか周りの人全員が悪い人のように思え、疑心暗鬼に陥ってしまった。

「あなたも着いたばかりで大変ですね」Sさんはまるで他人事のように言った。「初日にこんなひねくれたじいさんに会ってしまって」

「そんなことありません。ためになるお話、ありがとうございました」

「えっ?」

「いや、なんでもありません」

 すっかり外は暗くなっていた。夜になっても通りは人や車が行き交っていたが、その中へ飛び込む勇気は、そのときのぼくにはもうなかった。僕はSさんに断って、自分の部屋に戻ることにした。

「私の言葉で気落ちするか、何くそと思うかで旅の楽しさは変わってきますよ」

 去り際に、彼は笑いながら留めを刺すようなアドバイスをぼくにくれた。

「でも、あなたはいつか痛い目に合うでしょうね。そのとき、私の言ったことの意味が分かると思いますよ」

 

【初日で帰りたくなる】

 部屋に戻ると、急にめまいがしてそのままベッドに倒れこんでしまった。空腹のせいだろうが、もう外に出る勇気がなかった。目を閉じると、今日見て歩いた異国の街並みが思い返される。そして、さっきのSさんの忠告が頭をよぎり、これからあと2ヶ月1人で過ごさなければならないという事実に胸が押し潰されそうになった。いますぐ帰りたい。そんな弱気な気持ちが芽生えるが、まだ何も成し遂げてはいないという理性がその芽を踏みつける。けれど、不安の芽はいくら踏んでも次々に顔を出してしまう……。

 そうやって葛藤しているうちに、気づいたら有無も言わさぬ深い眠りがぼくを襲った。そんなこんなで、旅の初日が幕を下ろした。

 

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 バンコクの夜。仲睦まじいタイ人のおばちゃんと白人のおじちゃん

 

 

バンコク 初海外でバックパッカーになる

【タイへの逃走】

 2013年4月9日、僕は会社ではなく、羽田発バンコク行きの飛行機の中にいた。学生時代の友達の多くはこの春から新社会人としてバリバリ働いていたけど、ぼくは就職という道を取らなかった。でも、何もしないでいるのも後ろめたいので、とりあえずぼくは旅に出た。いわゆるバックパッカーというものになってみたのだ。

 とはいえ、世界一周のような大それたものではなく、ほんの2ケ月ほど東南アジアを回ってみる計画だった。特に行きたい場所があるわけでもなく、別に行き先はアメリカでもヨーロッパでもよかった。でも、お金がなかった。そこで最も安上がりな場所を色々と探した結果が、東南アジアだったのだ。

 就職ではなく旅を選んだぼくは、社会の落後者なのかもしれない。おそらくはそうだろう。でも、旅を終えたいまは、給与や社会経験とは別の価値あるものを得た気がするのも確かで、それを言葉にすることで、いまも抱える後ろめたい気持ちを発散したくもなった。そこで、ぼくはこのブログを使って、その2ケ月間の旅について語ろうと思った。人見知りで、英語もろくにしゃべれず、しかも海外初体験の男の話がおもしろいとは自分でも思えないけど、ある程度の体験はしてきたつもりだ。

 

【はじめて外国人になる】

バンコクスワンナプーム国際空港に着いたのは、朝の5時20分だった。ANAの173便の機内から降りると、タイ人の空港職員が両手を合わせて出迎えてくれた。ワイという伝統的なあいさつだ。ぼくは職員に軽く頭を下げ、寝ぼけ眼で長い通路を歩き、外国人用のイミグレーションの列に並んだ。周りには日本人の他に、別の飛行機に乗っていた白人やアラブ人、見た目は日本人にそっくりな韓国人がいて、それぞれ自分たちの国の言語で何かを話し合っていた。そのとき初めて、僕はここが海外で、自分が「外国人」なんだと実感した。

 初体験の入国審査に緊張したが、女性の検査官は僕のパスポートと出入国カードをチェックしただけで、質問も何もせずあっさりと通してくれた。こんなものかと拍子抜けしたけど、パスポートに押されたタイの入国スタンプを見ると、異国の地に足を踏み入れた興奮がどっと沸き上がってくる。機内に預けた荷物を受け取り、両替カウンターで2千円だけバーツに変える。およそ650バーツ。いまはこれがこの国でどれほどの価値を持つのかはよく分からないが、徐々に身をもって知ることになるのだろう。

 さて、どうするか。『地球の歩き方』によれば、空港からはタクシーかバスで行くのが便利だと書かれている。けれど、タクシーはぼったくられると聞くし、バスは乗り方がよく分らなかった。そこで、ぼくはエアポートレイルリンク高架鉄道で行くことにした。45バーツとバスに比べて割高だけど、間違いなく目的地に連れて行ってくれる鉄道の方が安心だと思ったのだ。

 空港の地下と直結している駅に向かい、自動券売機で切符を買う。この路線では切符はコインの形をしていてる。このコインを改札機にパスモのようにタッチして、出るときに投入口に入れる仕組みなのだ。車内は冷房が利いていて日本の地下鉄とあまり変わらない。タイ語の後に英語のアナウンスがあるので、目的の駅で降りることもたやすい。と言っても、ぼくが向かったのは終着駅のパヤータイだったのだが。

 パヤータイ駅に着き改札を出ると、猛烈な熱気が待ち構えていた。まだ7時にもなっていないのに、立っているだけで汗が湧き出てくる。これが現地の空気なのだ。昨日までのむしろ肌寒かった日本の空気とはまるで違う。皮膚を越えて骨にまで伝わってくるその熱に、眠気も忘れて思わず笑みがこぼれた。とうとう新しい日々が始まったのだ。

 

【とにかく暑いバンコクの街】

 だが、その熱を帯びたバンコクの街は、軽い気持ちで旅に出たぼくに手痛い洗礼を浴びせた。ぼくはパヤータイから、世界中のバックパッカーが集まるというカオサン通りまで歩くつもりだった。地図によれば2キロほどの距離なので、バスやバイクタクシーを使うまでもないと考えたのだ。だが、それはあまりにも愚かで安直な考えだった。英語しか話せない白人の若者が東京の街に迷い込んだ姿を想像してほしい。ぼくの場合は英語もろくにしゃべれないのだから、どうなったかは明らかだ。

 2時間は歩いただろうか。まだカオサン通りに着けない。地図の通りに歩いているはずなのに、気づいたらまったく逆方向に歩いていて、道を引き返したら、今度は行き過ぎてしまう。単にぼくが方向音痴なだけでもあるが、照りつける直射日光に思考回路が鈍っているようだった。汗が止めどなく流れる。バックパックが肩にどしりとのしかかる。途中で何度も冷房の利いたセブンイレブンに入って(タイにいる間、何度この日本資本のオアシスに助けられたことか)飲料水を購入した。

 でも、再び歩きはじめたら、またすぐに汗が湧き出て飲んだ分の水分を奪われる。そんなに過酷ならタクシーに乗ればいいではないかと思われるかもしれないが、ぼくは何が何でも乗り物には乗りたくなかった。初めての美容室に行くときのような恐怖を抱いていたのもあるが、そうやって汗水をたらしながらバンコクの街をさ迷うことに、ある種の快感を覚えてもいたのだ。

 バンコクの街並みは、日本でぼくが抱いていた東南アジアのイメージとかけ離れていた。中心部には高層ビルが建ち、大型のデパートが軒を連ねている。先に書いたように、街のいたる所にはセブンイレブンがあり、交通インフラも整備されている。日本と遜色のない、大都市だ。

だが、当然ここは異国である。車道には車やバイク、それにトゥクトゥクオート三輪車)がひっきりなしに走っていて、信号もあまりないので横断歩道を渡るのも一苦労だ。なにより、バイクタクシーがおもしろい。慢性的な交通渋滞の網目を通り抜けるように走るバイクは、市民の足として重宝されている。駅前にはオレンジのベストを着た運転手が何人も待機して、会社員やOLを後ろに乗せすいすいと駆け抜けて行く。中には親に金を握らされて学校へ向かう小学生もいる。だが、車道はあまりにも混雑しているので、たまに人気が少ないと見るや平気で歩道を走り、ぼくは何度が轢かれそうになった。

 また、道路わきやデパートの周りには、これぞ東南アジアと思わせるような屋台がいくつもある。麺や米などの主食を扱う店もあれば、肉や練り物の串焼き、フルーツ、ジュースを売っている店もあり、隣接されたテーブルではどんな時間でも誰かが食事をとっている。経費削減のためか、屋台で買ったジュースはペットボトルではなくビニール袋に入れ、それをストローで啜って飲む。もちろん、食べ物だけでなく、衣服や仏教関連の雑貨、それに何に使うのかよく分らないガラクタを扱った屋台もある。どこに行ってもそのような珍しい光景に遭遇するので、ぼくは疲れも忘れて歩き続けることができた。

 とはいえ、さすがに正午も過ぎると腹が減るし、疲労もたまってくる。なのに、ぼくはまだカオサン通りに着けず、サヤームという日本の新宿に当たる場所をうろついていた。体力も限界に達してきたので、ぼくはひとまずサヤームパラゴンと言うショッピングモールの中に入り、計画を練り直すことにした。

 だが、しばらく命を吹き込んでくれるかのような冷房に当たっていると、だんだんとカオサン通りに行く気が失せてしまった。一息つくと、どっと疲労と睡魔がよみがえってきて、これ以上動きたくなくなったのだ。だからバイクタクシーにでも乗れよと自分でも思うが、これだけ歩いたからこそ意地でも乗り物には乗りたくない、余計な金は使いたくない、と変な見栄が出てしまったのだ。

 調べると、この近くにも安めのゲストハウスがあるらしい。そこで、ぼくは急きょ予定を変更して、モール内にあるATMで国際キャッシュカードから2000バーツを引き出し、『地球の歩き方』を手がかりにそこへ行くことにした。

 しかし、案の定また迷ってしまった。地図ではほんの200メートル圏内にあるのに、まったく見当たらないのだ。バンコクはまさに魔性の街だ、と自分の方向音痴を棚に上げて、結局30分ほど歩いた。そして、ようやく見つけた。この旅最初の宿泊地「ホワイト・マンション」だ。

 

 

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 バンコクのバス停での一枚